1987年の2月は就職前の最後の悪あがきで、常磐線沿線の非電化私鉄を彷徨していました。その中で一番ショックだったのが茨城交通湊線でした。
茨城交通はなんだかんだ訪問しており、1985年、1986年の様子は第35,36,68話でご紹介していますが、今回は車両塗装に再び激変があり、大変なことになっていました。非常に残念と言うか、参ったの一言です。
1.キハ2004 (那珂湊:1987年2月)
このテカテカのアメリカン塗装には鳥肌が立ちました。
従来の常磐線モドキカラーもどうかと思いましたが、今度は更にエスカレートし、当時のスカイライナーモドキです。なにやら茨交のバスもこの塗装に変更されたそうですが、バスの塗装に合わせたのか、湊線の気動車にとっては "年増の厚化粧” 以外の何物でもありませんでした。
2.キハ221 (那珂湊:1987年2月)
この頃国鉄の赤字ローカル線を第三セクター化して補助金で新車を投入する会社がいくつかありましたが、その新車がこういった派手な塗装を好んで採用し、なぜか白装束で意味もなく斜め線を入れるのがはやっていました。
しかし、新車はそれに耐えられるデザインでしたが、昭和30年代の気動車にそれをやっちゃあ無理があります。前回の塗装変更は「困ったCI化」でしたが、今回は「恥ずかしいCI化」になってしまいました。
3.キハ223 (勝田:1987年2月)
新塗装があまりにも強烈過ぎて、この常磐線モドキカラーがとてもまともに見えました。
左側に当時の常磐線中距離電車が止まっていますが、この塗装が常磐線モドキカラーのゆえんです。
4.キハ111 (那珂湊:1987年2月)
このキハ11形もいずれはアメリカンに塗られてしまいます。正直見たくありませんでしたが・・・・・。
5.ケハ601 (那珂湊:1987年2月)
ところでこの時は、アメリカンを見に来たのではなく、この"湯たんぽ”気動車ケハ601を撮りに来たわけです。
6.ケハ601 (那珂湊:1987年2月)
毎回訪問時はいつも那珂湊の車庫で昼寝で、なかなか走行写真が撮れません。ケハ601は総括制御ができないので、専ら単行用でした。閑散期の運用が狙い目ですが、この日も昼寝。もう走ることはないのか?
7.ケハ601 (那珂湊:1987年2月)
このケハ601はサボまでステンレス製でした。果たしてアメリカン塗装はこの車両まで波及するのか?
昨今のステンレス車両は、あえて地肌を隠すように、塗料を塗ったり、外装フィルムを貼っている車両が多くなってきましたが、当時のステンレス車は無塗装が常識でした。もっとも錆びないので、無塗装が売りのステンレス車両です。
ゆえにケハ601はアメリカン化を免れました。