ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第248話 1988年栗原:運ぶものがない!!(その5)

午後は移動して沢辺付近で撮影を行いました。

沢辺のあたりも田植えが始まっていました。列車は真っすぐな直線区間を高速でぶっ飛んで来ます。

 

1.M153 (沢辺~津久毛:1988年5月)

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 ここは国道4号線が栗原電鉄をオーバーパスする築堤で、結構有名な撮影地でした。本来ならば前方に雄大栗駒山がそびえているはずですが、この日は午後になってもガスで全く見えません。

 

2.M153 (沢辺~津久毛:1988年5月)

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 5月の日差しは結構強く、昼頃はトップライトでまぶしい写真になってしまいました。

 

3.M153 (沢辺~津久毛:1988年5月)

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 晴れてはいますが、もやがかかって青空も望めません。よって、田圃の水面も白くくすんで、クリアな写真が撮れません。

 

4.M153 (沢辺~津久毛:1988年5月)

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 70km/h走行の列車を真横から狙ってみました。乗客は4~5名、こんな状況で本当に大丈夫なのか?

 

5.M153 (沢辺:1988年5月)

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 沢辺駅は沿線では一番にぎやかな感じがしました。

ほとんどの列車はここで交換します。国道や東北自動車道が近いので、仙台や一ノ関方面へのバスも経由し、石越よりもこの駅が交通の拠点になっていたと思われます。

 

6.沢辺駅 (沢辺:1988年5月)

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 拠点とはいっても、こんな感じの木造駅舎でした。駅前は何もなく大型バスが余裕で転回できるほどの広さがありました。