ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第225話 1987年茨城交通:恥ずかしいCI化(その5)

この日は天気も良く、ケハ601の走行撮影も出来て、すっかり筑波鉄道のことを忘れて湊線の撮影に没頭してしまいました。

 

1.キハ222 (中根:1987年3月)

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非電化私鉄は架線がないので、スッキリした写真が撮れます。

この日、日中の単行運用はケハ601とこのキハ222の2列車でした。夕方になると2連の運用となり、ケハ601の方は先に入庫してしまいましたが、キハ222の方はまだ走っていました。

 

2.キハ223+キハ2005 (金上~中根:1987年3月)

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そろそろ2連がやって来るので、少し離れた位置から風景主体の写真を撮影してみました。 

金上~中根間には湊線を俯瞰できる小高い丘があります。ここも築堤を走る列車を何枚も連写できる場所です。恐らく現在もこの場所で同じような写真を撮ることが出来ると思います。ただし、この頃の車両はもう居ませんが・・・・。

 

3.キハ223+キハ2005 (金上~中根:1987年3月)

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 ところでここは、東日本大震災で甚大な被害を受けた場所でした。ちょうど列車が写っている辺りも築堤が崩れ、この手前にあった溜池も決壊してしまい、この区間の復旧にはかなりの日数を要しました。

 

4.キハ2004+キハ221(金上 ~中根:1987年3月)

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地震や水害で廃止となった鉄道は結構あります。そうした中で湊線は生き残りました。

 

5.キハ2005+キハ223 (中根~金上:1987年3月)

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 この日は日暮れまで湊線で撮影を行いました。とにかくケハ601の走行写真は最高の収穫でした。そして翌日は心機一転、筑波鉄道に戻りました。