いよいよ高島です。しかし、高島に到達するには、運河を渡らなければなりません。ところが道路橋がありません。あるのは高島線の鉄道橋梁だけです。よって、また大迂回しなければなりませんが、現在は横浜中央市場の海側に「みなとみらい橋」が出来たので、高島方面に行くならそちらの方が近いです。しかし、今回は運河に沿って高層マンション街を迂回します。
地図1.高島駅周辺図(引用:国土地理院1/10000地形図「新子安」昭和60年発行)
昭和60年頃の地図1を見ると、高島一丁目には、かなり大きなヤードがありました。まさに貨物輸送が鉄道を頼っていた証です。高島ふ頭にも引込線が確認できます。しかし、現在は埋立によって高島ふ頭がなくなり、横浜機関区、ヤード、引込線もなくなって、辛うじて単線の高島線が残っているだけです。
地図2.高島線及び廃線跡撮影地点 (引用:国土地理院1/2500地形図 GSI Maps)
現在の高島付近はすでに再開発は終盤ですが、地図2に「再開発エリア」と記した高島線のヤードがあった辺りだけが更地で放置されています。
今回は地図2に示す⑭~⑱の状況をお伝えします。
写真⑭
写真⑭は高島線の東高島~高島間にある橋梁を、東高島側の運河沿いから高島方向に撮影したものです。対岸は旧高島のヤード跡です。背景は高島の高層ビル街です。ここから対岸に渡りたかったのですが、歩いて渡る橋がありません。仕方なく大迂回です。
写真⑮
一旦、中央市場通りに戻って、栄町から高層マンション街を抜けて再び運河沿いにでました。写真⑮は運河(正式には帷子川だそうです)の北岸から高島線の橋梁を撮影したものです。この場所はウッドデッキのテラスになっており、ウオーターフロントのハイソな雰囲気が漂っています。
写真⑯
写真⑯は、運河の西詰めの「みなとみらい大橋」から望遠で高島線の橋梁を撮影したものです。橋梁の向こう側は横浜中央市場です。橋梁の左側が東高島で、右側が高島です。この橋梁は4線分の桁が架かっていますが、現在は高島線が単線で使用されています。
写真⑰
写真⑰は旧高島ヤード跡を走る石油輸送の貨物列車です。かつてここには、多くの貨物列車が発着し、ものすごい数の貨車がひしめいていましたが、現在は単線の高島線が通るだけで、列車は停まることなく通過です。
写真⑱
写真⑱は「みなとみらい大橋」から旧高島ヤード跡を撮影したものです。対岸に見えるフェンスが高島線の線路位置です。写真右端の建物は「Kアリーナ横浜」です。運河には水上バスが運行されています。さて、「みなとみらい大橋」を渡って、次回は高島へ上陸です。
つづく