ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第159話 1987年関東(常総) 気動車三昧(その7)

1987年当時の関東鉄道を代表する車両はキハ800形でした。

この車両は第58話でご説明した通り、日本車輌の地方私鉄向け標準気動車の決定版でした。元は筑波線の国鉄水戸線直通車だったキハ500形の後継車として、セミクロスシートで空気ばね台車を採用して導入され、1961年に筑波線に2両、常総線に3両が配置されましたが、水戸線との直通運転が廃止されて1965年には全車5両が常総線に配置となりました。

 

1.キハ801 (水海道:1987年1月)

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 常総線ではキハ800形も、先に配転されたキハ500形同様にロングシート化されましたが、外観はオリジナルを維持しました。しかし、常総線ではこのような優雅な車両はすでに必要ではなく、大量輸送の時代に突入していました。本来であればこのキハ800形やキハ500形も“関東流の洗礼”を”浴びて3ドア化されてもおかしくありませんでしたが、関東鉄道がこの車両に手をつけなかったのは、この車両に対する思い入れが強かったからなのかも知れません。

 

2.キハ802 (水海道:1987年1月)

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 キハ800形の外観は、大変洗練されたデザインでした。さすが日車製の車両です。

日車はこの車両をベースとして、標準型気動車の全国展開を目論んでいたようですが、結局秋田県の同和鉱業小坂鉄道に同形車が7両導入されただけに終わってしまいました。やはり地方鉄道にとって新車は「高嶺の花」だったことと、地方を直撃したモーターリゼーションが原因と思われます。そして昭和40年代になると路線の廃止による中古車両の転売が横行し、それが昭和50年代以降になると今度は国鉄気動車の払い下げへと続いて、私鉄向け気動車の新車市場は厳しい状況が続き商売にならず、いつしか日車も標準型気動車から撤退してしまいました。

 

3.キハ803+キハ721+キハ551 (取手:1987年1月)

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 両運車のキハ800形は、ラッシュ時の増結用として活躍しました。よって、このような凸凹編成がよく見られました。

 

4.キハ804+キハ802+キハ805 (水海道:1987年3月)

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 珍しく、キハ800形の3連が入庫してきました。なかなかの編成美ですが、車体広告がネックです。車体広告も大事な収入源ですが、もう少しなんとかならないものか、撮影のたびに思いました。

 

5.キハ805 (水海道:1987年3月)

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6.キハ805 (水海道:1987年3月)

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 常総線は取手~水海道間は通勤路線として複線化されて大量輸送が課題となっていましたが、一方、取手~下館間はどうしようもないほどのローカル線でした。そこで活躍したのが、ローカル輸送に適した両運車のキハ800形、キハ500形でした。

水戸線も電化されて、もはや常総線を利用して都心に向かう人は皆無です。そんな閑散路線は往年のロマンスカーが余生を送るのに最適の場所でした。