ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第444話 1990年富山地鉄:高度経済成長期のカルダン車

富山地鉄は地方私鉄では珍しく、早い時期から自社発注のカルダン車が導入されていました。ちょうど高度経済成長期にあたり、立山黒部アルペンルートの開通など、観光需要も追い風になった、羽振りの良い時代だったのでしょう。

ところで、カルダン車とは言え、当時一番初期の車両はもう製造から35年を経過し、そろそろ引退が近づいていました。しかし、まだまだ廃車はもったいない!! この頃から延命処置が始まりました。そして、車体更新されて少々スタイルが変わってしまった車両もありました。

 

1.モハ14791 (稲荷町:1990年5月)

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 モハ14790形(注1)は、1955年製の富山地鉄で一番古いカルダン車です。地鉄のカルダン車では、特異な正面3枚窓で、導入時は両運車同士のMT編成でした。この車両はその後増備されず、異端車となりましたが、他の車両との併結が可能だったので、運用上の支障はありませんでした。

このモハ14791は、1985年に側窓が2段サッシ化されましたが、正面3枚窓は辛うじて原型を維持しました。一方、相棒のモハ14792は、この時姿が見えず、どうしたものかと思っていたら延命更新を受けている最中で、今回は写真がありませんが、前面窓の2枚化など原型を損ねてしまい、ドア配置の変更など、全く違う車両になってしまいました。

(注1)モハ14790形の車歴

富山地鉄モハ14791←富山地鉄モハ14771:1995年日本車輌

富山地鉄モハ14792←富山地鉄モハ14772←富山地鉄クハ171Ⅰ:1995年日本車輌

モハ14790形は、当初モハ14770形と称していましたが、モハ14760形が増備されて70番台が生じ、番号の重複をさけるため、1981年にモハ14790形に改番されました。また、モハ14792は、製造当初は両運のクハでしたが、1958年にモハ化され、以降モハ14790形は2両体制となり、両運車の機動性を発揮して単行から波動輸送時の増結用まで幅広く活躍しました。しかし、延命処置を行ったにもかかわらず、非冷房であったことなどから、モハ14791は1995年、モハ14792は1997年に廃車されました。

 

2.クハ173 (稲荷町:1990年5月)

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 富山地鉄は、形式番号の付け方が独特でした。電動車が5桁で上3桁が主電動機の出力(PS)を表し、下2桁が形式と車号を表しています。また、制御車は吊り掛け車が2桁、カルダン車が3桁でした。

カルダン車の制御車は、モハ14780形とユニットを組むクハ180形と、増結用またはモハ14720形とユニットを組むクハ170形に大別されましたが、クハ170形は改造車と新車が混在していました。ちなみに写真のクハ173は元モハ10020形の中間車だったサハ220形からの改造車でした。後にクハ170形は、形式が細分化されて、クハ170形(171Ⅱ,172)、クハ173形(173,174)、クハ175形(175)となりました。

 

3.クハ173の連妻面 (稲荷町:1990年5月)

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この写真は、クハ173の連結面です。増結用のクハは連妻がこのように非貫通でした。

<クハ170形の混成内訳> 

・クハ171Ⅱ(モハ14721と2連化)←サハ221(元10020形第1編成の中間車)

・クハ172(モハ14722と2連化)←サハ222(元14720形の中間車)

・クハ173(増結用)←サハ223(元10020形第2編成の中間車)

・クハ174(増結用)←サハ224(元10020形第3編成の中間車)

・クハ175(増結用)・・・この車両は新製車で、モハ14760形と同一スタイル

なお、富山地鉄オリジナルのカルダン車はほぼ18.5m車でしたが、クハ171Ⅱと172は、モハ10020形の運転室を切り取った車体設計だったので、車体長が短く17m級でした。

 

4.クハ182+モハ14782 (稲荷町:1990年5月)

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 クハ180形は製造当初からモハ14780形とコンビを組んでいました。この編成は、モハ14770形に続く、2番目のカルダン車となりましたが、正面2枚窓の永久連結車となり、3編成投入されました。

 

5.モハ14782+クハ182 (稲荷町:1990年5月)

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 当初は、側窓も1段窓でしたが、車体更新時に2段サッシ化され、安っぽくなりました。

 

6.モハ10023+モハ10024 (稲荷町:1990年5月)

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 モハ10020形は、3番目のカルダン車として、中間車にサハ220形を連結した初のユニット編成となり、MTMの3連3編成が投入されました。

このシリーズから側窓が2連2段のユニットサッシとなり、この窓割りはモハ14760形まで続きました。

 

7.モハ10024+モハ10023 (稲荷町:1990年5月)

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 しかし、運用の見直しにより、1969年にモハ14720形共々中間車を外して2連化されてしまいました。

写真のモハ10023+モハ10024は、車体更新時に車体裾のRがストレート化されました。この時点ではまだ非冷房ですが、1992年には冷房化されました。

この後、富山地鉄には1992年に訪問しますが、いよいよ京阪3000系の導入が始まり、吊掛車の淘汰や、新塗装への塗り替えが行われます。