ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第586話 1992年富山地鉄:テレビカー参上(その3)

8月の富山地鉄は、ちょうど観光シーズンであるため、日中もJRからの乗り入れや臨時列車が走り、大変賑やかでしたが、夕方になると今度は帰宅ラッシュの運用となり、これまた3連や4連が走り賑やかでした。

 

1.モハ10031+モハ10032 (越中三郷~越中舟橋:1992年8月)

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富山で見る京阪特急は違和感がありました。やはり2連だったことが一番の理由と思います。特に京阪オリジナル塗装の車両は不思議な感覚でした。 いずれは新塗装に塗り替えられてしまうのですから、どうせなら「鳩マーク」を付けて走らせたら良いのに、とも思いましたが、この電車の雷鳥塗装も見てみたいものです。

 

2.モハ10031+モハ10032 (越中三郷~越中舟橋:1992年8月)

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  ところで、一説によると富山地鉄京阪3000系の導入前に阪急2800系の導入を検討していたそうです。その頃の阪急2800系はすでに京都線特急を引退して、3扉ロングシート化されていましたが、これを2扉クロスシートに復活を目論んだそうです。面白そうな話ですが、やはり京阪3000系に比べて古く、部品の調達など改造にはかなりハードルが高かったようで実現には至りませんでした。もし、実現していたら狭軌化された阪急電車が恐らく2両で富山平野を走ることになったと思いますが、もしかして雷鳥塗装の2800系など、想像するだけでも鳥肌が立ちます。

 

3.モハ14767+モハ14768 (越中三郷~越中舟橋:1992年8月)

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 モハ14760形にも新塗装車が登場しました。この電車は赤ひげ付きです。いずれは全車がこの新塗装になってしまうのか? しかし、この車両も従来の雷鳥塗装の方が似合うと思いました。今でもそう思っています。

 

4.モハ14761+モハ14762+クハ173 (越中荏原~越中三郷:1992年8月)

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ここからは、撮影場所を荏原~越中三郷に移動しました。この駅間には常願寺川を渡る大きな橋梁がありますが、この日は橋梁の越中三郷側の築堤で撮影しました。

 雷鳥塗装の凸凹3連が来ました。増結用のクハ173形は、クハ173~175の3両が在籍していましたが、クハ173,174は元10020系中間車だったサハ220形の改造車だったので、改造後のスタイルはモハ10020形と同じ顔になりましたが、モハ14760形と同時期に新製されたクハ175だけは、モハ14760形と同じスタイルでした。

 

5.モハ14711+クハ11+モハ14752 (越中荏原~越中三郷:1992年8月)

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 モハ14711+クハ11は元名鉄3800形+ク2800形、モハ14752は自社発注の運輸省規格型電車で、共に1948年製の貴重な吊掛車の3連です。しかし、モハ10030形の増備で間もなくこの3連は見られなくなります。

 

6.モハ14711+クハ11+モハ14752 (越中荏原~越中三郷:1992年8月)

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 この頃には、7編成在籍したモハ1470形+クハ10形は、3編成に減っていました。そして、モハ1470形+クハ10形は翌年には全廃されました。また、4両在籍したモハ14750形も2両となっていましたが、こちらはカルダン車のお供として1995年まで生き延びました。

 

7.モハ14763+モハ14764+クハ174 (越中荏原~越中三郷:1992年8月)

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 この3連はクハ174を連結していました。時間的に夕方のラッシュ時のようですが、結構3連が出動しており、増結車の稼働率は高いようでした。