ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第587話 1992年富山地鉄:テレビカー参上(その4)

この日は立山連峰は曇っていましたが、平野部は良く晴れて日没まで撮影できました。

夕方頃になり、足に痛みを感じました。そう言えば、この日は午前中に立山砂防の樺平まで往復歩いたことをすっかり忘れていました。靴を脱いで見たら足の裏にマメが出来ていました。

 

1.モハ10025+モハ10026 (越中荏原~越中三郷:1992年8月)

f:id:kk-kiyo:20200718172627j:plain

 いよいよ日没が近づいてきましたが、列車はどんどん来ます。暗くなってきたので、シャッター速度を落としましたが、見事にブレました。列車は結構飛ばして来ます。

 

2.モハ14721+クハ171 (越中荏原~越中三郷:1992年8月)

f:id:kk-kiyo:20200718172701j:plain

 シャッター速度を落として、少し離れた位置から撮影することにしました。先ほど撮った列車の折返しが戻って来ました。

 

3.モハ14782+クハ182+モハ14791 (越中荏原~越中三郷:1992年8月)

f:id:kk-kiyo:20200718172805j:plain

 モハ14782+クハ182は元々3連だった列車ですが、運用の見直しで2連化されたもののラッシュ時は3連となって走りました。しかし、増結車は元相棒とは限らず、こんな凸凹の3連も日常的でした。

 

4.モハ10035+モハ10036+モハ14792 (越中荏原~越中三郷:1992年8月)

f:id:kk-kiyo:20200718172736j:plain

色違いの凸凹3連も、戻ってきました。 

モハ10030形(注1)は、この時点6編成が在籍していました。最終的には翌年の1993年までに8編成が竣工しました。

 

5.モハ10039+モハ10040 (越中荏原~越中三郷:1992年8月)

f:id:kk-kiyo:20200718172832j:plain

 (注1)モハ10030形の車歴(1992年8月時点)

地鉄モハ10031+モハ10032←京阪3001(Mc),3501(Tc):1971年川崎重工

地鉄モハ10033+モハ10034←京阪3018(Mc),3518(Tc):1978年川崎重工

地鉄モハ10035+モハ10036←京阪3003(Mc),3503(Tc):1971年川崎重工

地鉄モハ10037+モハ10038←京阪3004(Mc),3510(Tc):1971年川崎重工

地鉄モハ10039+モハ10040←京阪3014(Mc),3513(Tc):1973年川崎重工

地鉄モハ10041+モハ10042←京阪3017(Mc),3517(Tc):1973年川崎重工

 

6.クハ180形+モハ14780形+モハ14760形2連 (越中三郷~越中荏原:1992年8月)

f:id:kk-kiyo:20200718172856j:plain

 日が暮れた頃に4連がやって来ました。

この日はこれで撤収です。大変疲れた記憶がありますが、実は翌日は早朝から知る人ぞ知る「小口川第3発電所」を目指しました。我ながら無謀と言うか、アホとしか言えません。