ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第550話 1992年立山砂防:夏、樺平を目指す!(その3)

七郎のスイッチバックで休憩していると、頻繁に列車がやって来ました。この場所は眺めが良く、はるか先まで見通せて、ズームレンズがあれば何枚でも連写でき、思わぬフィルムの浪費をしてしまいました。

 

1.七郎谷付近を下るモーターカー (七郎:1992年8月)

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 モーターカーはあっという間に七郎スイッチバックを駆け下りていきましたが、ズームで追い掛けると、まだあんなところを走っていました。この写真は、七郎スイッチバックから俯瞰撮影したものですが、この場所からは延々と撮影ができます。

 

2.七郎スイッチバックを下る混合列車 (七郎スイッチバック:1992年8月)

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 続いて、朝一の続行列車の折返しが下ってきました。写真の後方には豪快なサブ谷砂防ダムが写っています。河原には一軒家ほどの大きさがある岩が転がっています。増水時はこんな大きな岩が転がってくるとは、やはりここは危険地帯です。

 

3.七郎スイッチバックを下る混合列車 (七郎スイッチバック:1992年8月)

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 ここは標高差があり、七郎スイッチバック、グス谷スイッチバック、サブ谷スイッチバックの合計8段のスイッチバックが連続しています。写真では列車は河原の脇を走っている様に見えますが、列車の位置は河原から30mくらい高い場所です。

 

4.七郎橋を渡る混合列車 (七郎:1992年8月)

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山を下る混合列車も、七郎スイッチバックからズームレンズで追い掛けてみました。肉眼では米粒大でどこを走っているのかわらないくらいの大きさです。


5.河川敷を下る混合列車 (七郎:1992年8月)

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列車は 鬼ヶ城へ消えて行きました。さて、鬼ヶ城と言えば、あのトンネルをまた通らないと戻れません。500mもあるトンネルなので、トンネルの中で列車と合わないようにしなければなりませんが、立山砂防軌道はお昼時間は列車が走らないので、その時間帯が勝負です。まだ昼前でしたが、ここで絶景を見ながら早めの昼食(鱒のすし弁当)を食べて栄養補給です。

 

6.七郎スイッチバックを上る混合列車 (七郎スイッチバック:1992年8月)

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 スイッチバックを下りて、今度は下から七郎スイッチバックを仰ぎました。ちょうど写真の真ん中あたりに、上りの列車が小さく写っています。この写真の左上には、スイッチバックの最上段が見えますが、つい先ほどは、そこから俯瞰撮影をしていました。

ご参考までにこの近辺の地図を添付します。

 

7.立山砂防軌道沿線地形図(引用:国土地理院1/25000地形図「立山」昭和52年発行)

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 ちなみに、この地形図は昭和52年発行の古いものです。砂防軌道は非常にラフに描かれています。そして、現在は地形も変化して軌道ルートも変わっていますので、あくまでも当時の撮影場所を記した参考という程度に留めて下さい。また、大変危険な場所なので、現地は立入り禁止になっています。どうしても現地を見たい人は、立山砂防博物館が主催する現地見学会に応募して当選して下さい。(ただし、当選しても天気次第では見学会は中止となります。)