ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第943話 1993年三井三池:国内炭鉱の終焉を実感(その2)

三池港には、凸型22t 1号機とL型15t 5号機が展示されていました。しかし、前回訪問時の1988年当時に比べて、三池港に駐留する電気機関車の数がずいぶん減った感じがしました。

 

1.凸型22t 1号機、L型5t 1号機 (三池港:1993年9月)

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特に、凸型22t機は展示されている1号機以外に見当たりません。かつて凸型22t機は、三池港の貯炭線でセラの操車を行っていましたが、すでに貯炭線は使用されておらず、三池港での運用はなく、本線沿線の引き込み線などでの貨物の入換を行う程度でした。

 

2.凸型45t 22号機、凸型45t 17号機 (三池港:1993年9月)

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凸型45t機は、辛うじて運炭列車が残っていたので、この時点ではまだ失業していませんでしたが、凸型22t機はかなり廃車になったものと思われました。

 

3.貯炭線全景 (三池港:1993年9月)

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写真の高架は三池港の貯炭桟橋です。この高架上に石炭を積載したセナを引き込み、石炭を投下していました。かつては沿線から産出される石炭が三池港に集積されましたが、もうこの貯炭線は使用されていませんでした。

 

4.凸型22t 5号機+ハト (三池港:1993年9月)

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ここは三池港にある車両の検修庫です。ここには現役車両の凸型22t 5号機が留置されていました。5号機と称する機関車が凸型22t機 とL型15t機にそれぞれ存在していたので紛らわしいです。 

 

5.デ4+凸型22t 11号機 (三池港:1993年9月)

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隣の建屋には、電源車デ4を連結した凸型22t 11号機がいました。本線沿線の引き込み線には火気厳禁の場所があり、防爆のためパンタ集電の機関車が入れないので、この様な電源車からの給電で走行する列車が存在しました。

 

6.保線車両群 (三池港:1993年9月)

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検修庫の裏には、怪しい保線車両がいました。高田工機製と思われる年季の入ったモーターカーが2両いました。

 

7.凸型22t 1号機、凸型45t 17号機他 (三池港:1993年9月)

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この頃の三池炭鉱は三池港にある三川鉱だけが稼働していました。もう本線を走る運炭列車もなく、炭鉱と同様に鉄道も規模縮小を余儀なくされていました。