ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第394話 1988年新潟臨海(東新潟港):その先の臨港線(その2)

国鉄の貨物合理化以降、国内の臨港線は相当整理されたと思いますが、1988年当時は新潟市内の臨港線がまだ辛うじて存続していました。

 この東新潟港線の東新潟港駅の先には、昭和シェル石油の製油所、臨港海陸運送の倉庫などがありました。その他にも、かつては農林水産省の倉庫などもあり、それぞれに引き込み線が敷設されていました。

 

1.DD552の貨物操車 (臨港町付近:1988年9月)

f:id:kk-kiyo:20191102172617j:plain

 当時臨港線として機能していたのは、臨港海陸運送の倉庫街に入り込んだ引き込み線だったと思われます。今となっては懐かしい元国鉄DD13初期車の様な機関車が茶色のワムを連れて倉庫街から出てきました。

 

2.DD552の貨物操車 (臨港町付近:1988年9月)

f:id:kk-kiyo:20191102172637j:plain

 このDD13モドキの機関車は本物の元国鉄DD13です。前照灯が1灯の初期車ですが、塗装は新潟臨海鉄道の標準であるオレンジとグレーに黄色のライン入りなので、一見オリジナルの私有機のように見えます。特に改造もされずにそのまま使用されていましたが、形式はDD55形と称していました。新潟臨海鉄道では自重が形式となるようで、この機関車は55t機でした。

 

3.DD552の貨物操車 (臨港町付近:1988年9月)

f:id:kk-kiyo:20191102172657j:plain

 この引き込み線は倉庫に挟まれ、後方には新潟西港のクレーンも望まれていかにも臨港線といったロケーションです。ひと昔前までは、こんな光景は各地で見ることができましたが、最近はどこへ行けばこの様な光景を見ることができるのかわからない程激減してしまいました。

 

4.DD552の貨物操車 (臨港町付近:1988年9月)

f:id:kk-kiyo:20191102172714j:plain

ところで、東新潟港線にはこのDD55形が2両配属されていました。

 DD55形(注1)は2両とも1981年に国鉄から譲渡されたものですが、1989年~1996年までJR貨物に転籍となり、1996年から新潟臨海鉄道に再び復帰となりますが、そのまま廃車となりました。しかし、車籍は二転三転しましたが、2両とも東新潟港線を離れることはありませんでした。

 

5.DD552の貨物操車 (臨港町付近:1988年9月)

f:id:kk-kiyo:20191102172744j:plain

(注1)DD55形の車歴

・新潟臨海DD551←国鉄DD1361:1960年日本車輌

・新潟臨海DD552←国鉄DD1371:1959年汽車会社製

 

6.東新潟港貨物駅構内 (東新潟港:1988年9月)

f:id:kk-kiyo:20191102174134j:plain

 最後は東新潟港貨物駅構内の様子ですが、ド派手な気動車が停車していました。

これは新潟鐵工所で落成したばかりの、山形鉄道向けNDCの甲種回送です。この頃、新潟鐵工所の車両工場は東新潟港貨物駅に隣接した場所にあり、甲種回送は新潟臨海鉄道の機関車が直接、新潟鐵工所の工場内に引き取りに出向いていました。

JRの新製気動車などは、上越線の長岡あたりで公式試運転を行うので新潟鐵工所から自力走行で東新潟港線を走行していました。

さて、東新潟港線は現在も辛うじて一部区間が存在していますが、新潟臨海鉄道自体は2002年に会社が解散してしまい現存しません。このあたりの経緯は別途、新潟臨海鉄道新潟東港線の報告時に話題に挙げさせて頂きます。