ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第802話 1993年新潟臨海(太郎代):まだ生きていた頃

第393話、第394話では、新潟臨海鉄道のタイトルで1988年当時の新潟港にあった臨港線の様子をお伝えしましたが、今回は新潟港にあった本家の太郎代線をお伝えします。こちらの本家は、白新線黒山から新潟東港の太郎代に至る全長5.4kmで、1970年開業の新しい路線でしたが、数奇な運命を辿ります。

 

1.藤寄構内全景 (藤寄:1993年4月)

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 ここは、機関区とヤードがあった藤寄です。この路線の中間あたりに位置し、現在はちょうど新新バイパスと交差するあたりです。この鉄道は白新線の黒山というマイナーな駅から分岐していました。沿線は農村地帯でとても長閑なところで、藤寄はとても不便なところです。終点の太郎代は新潟からバスが出ていますが、藤寄に行くのに車がなければ、黒山か太郎代から3kmほど歩くしかありません。

 

2.新潟臨海鉄道沿線地形図 (引用:国土地理院1/25000地形図「松浜」昭和56年発行)

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 なぜ、こんなところに臨海鉄道が出来たのか不思議ですが、終点の太郎代には掘り込み式の新潟東港があり、この新潟東港の開設と合わせて、港湾物資の輸送を担うために開通したとのことです。太郎代には肥料や化学薬品などの工場がありますが、輸送量はそれほどでもなさそうでした。

 

3.DE652+タキ・・・・ (藤寄:1993年4月)

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 列車を見ると、タンク車が多い様でした。当時の輸送実績によれば、化学薬品がほとんどなので、タンク車が多いわけです。

 

4.DE651、DD351 (藤寄:1993年4月)

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 この当時の在籍車両は、機関車(注1)がたったの3両と除雪車が1両だけでした。

(注1)在籍機関車の車歴

・新潟臨海DD351:1970年新潟鐵工所

・新潟臨海DE651:1970年日本車輌

・新潟臨海DE652:1970年汽車会社製

DD351は、ロッド式の35t機で、新潟鐵工が各地に売り込んだ標準タイプですが、すでに休車状態でした。

DE65形は、国鉄DE10形500番台そのものですが、譲渡車ではなく自社発注です。

 

5.DE652 (藤寄:1993年4月)

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 さて、新潟臨海鉄道は、輸送量の低迷と、建設が計画されている福島潟放水路が路線にかかるため、2002年に会社解散となりました。しかし、その後路線は新潟県の所有(黒山分岐新潟東港専用線)となり、黒山~西ふ頭間4.9kmは、廃止されることなく現存(藤寄~西ふ頭間は休止路線)し、しかも黒山~藤寄間は、不定期で列車も走ります。これは、1998年に近隣の聖籠町に移転して来た新潟鐵工所(現新潟トランシス)の製品である鉄道車両甲種輸送するためですが、運行はJR貨物が行っています。

なお、再び太郎代線の存在が脚光を浴びています。それは、コンテナ輸送の増加と新潟東港のコンテナターミナルに近い立地条件が功を奏し、さらに東日本大震災以降、鉄道による物資輸送が見直されて、この路線も活性化を図る検討が始まったようです。確かに災害時の救援物資を港から輸送するのに臨海鉄道があれば大変便利です。普段は使用されなくても、いざという時のために復活を望みたいところですが、どうなることやら・・・。