ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第393話 1988年新潟臨海(東新潟港):その先の臨港線

私は仕事の関係で新潟に出張する機会がよくありました。1988年当時、会社の工場が新潟市内にあり、そのすぐ脇をJRの貨物線だった東新潟港線が通っており、その先の臨港線が非常に気になっていました。

今回は、東新潟港線の話題ですが、タイトルの新潟臨海鉄道とは少々ややこしい関係がありますので、先ずは実態を説明します。

 

1.DD552の貨物操車 (臨港町付近:1988年9月)

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 新潟臨海鉄道は、新潟東港の開設と同時期にJR白新線黒山駅から新潟東港の太郎代(たろうだい)貨物駅までを結ぶ貨物鉄道として1969年に設立された会社ですが、新潟市内に存在する国鉄時代に開業した臨港線の貨物輸送も1981年から請け負っていました。その関係で一時期、東新潟港線の貨物を新潟臨海鉄道の所有機が牽引していたので、東新潟港線を新潟臨海鉄道と勘違いされた人が結構いた様です。そして、さらに混乱を招いたのが東新潟港線という名称です。新潟臨海鉄道の路線があるのは新潟東港ですが、東新潟港線があるのは新潟西港です。これはどういうことかと言うと、元々新潟には新潟港しかなく、東新潟港線は、新潟港の東に位置していたので、上沼垂~沼垂間の新潟港線と区別するため東新潟港線と命名されましたが、後から出来た新潟東港の建前、元々の新潟港が新潟西港となりました。しかし、その後も路線名はそのままだったことが混乱の原因です。

それにしても、新潟西港に行く路線が東新潟港線とは、やはり変です。

ちなみに、新潟港線は沼垂(ぬったり)線と称し、その中核である沼垂貨物駅はかつての新潟駅でしたが、この路線はすでに廃止になっています。

 

2.新潟市内地形図(引用:国土地理院1/50000地形図「新潟」平成9年発行) 

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 長々説明しましたが、手っ取り早く言うと、上図をご覧ください。地図の中央から真上の新潟西港へ延びる「貨物線」が、JR東新潟港線で、この貨物線で走っていた機関車が新潟臨海鉄道の所有車両だったと言うことです。そして、この路線はJRの路線であり、本来の新潟臨海鉄道の路線は別(新潟東港)にありました。

本来の新潟臨海鉄道の路線の状況は別途報告します。今回は、JR東新潟港線で活躍する新潟臨海鉄道の機関車の話題です。

 

3.DD552の貨物操車 (臨港町付近:1988年9月)

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 さて、ようやく本題に入りますが、この東新潟港線は歴史が古く、遡れば大正13年に開業した新潟臨港という会社が運営する貨物専用の地方鉄道でした。その後1941年に国有化されましたが、2002年頃には東新潟港駅の使用をやめたようで、現在途中駅の焼島貨物駅までの路線となっています。そして、現在は新潟臨海鉄道という会社は存在せず、貨物輸送はJRが行っています。かつては、地図にも記されている通り、焼島から先の東新潟港貨物駅まで路線があり、多くの引き込み線がありました。現在は焼島にある北越製紙の輸送のみとなってしまいましたが、1988年当時は東新潟港にあった新潟鐵工所鉄道車両甲種輸送なども行っていました。

 

4.DD552の貨物操車 (臨港町付近:1988年9月)

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 そして、私が気になっていたのが、東新潟港貨物駅の先に延びる引き込み線の行方でした。ちょうど新潟出張中の休日に、いつもの新潟交通には行かずに臨港線の散策に出向きました。

 

5.DD552の貨物操車 (臨港町付近:1988年9月)

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この日は休日でしたが、運よく貨物の入換を撮影することが出来ました。

この場所は、東新潟港線の終端に近い新潟西港です。国土地理院の地図は臨港線が大雑把なので、当時のこの付近の路線と撮影エリアの概略図を下記に示します。

 

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今回の撮影場所は意外にも、いつも会社の工場に出向く時に乗る、臨港二丁目行バスの終点でした。図の東新潟港貨物駅の部分はヤードになっており、ここに機関車の車庫がありました。

現在この辺りは、信濃川を横断する海底トンネルの出入り口となっており、この当時の面影はありません。