ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1098話 1996年近江:避けて通れない車歴の呪縛(その4)

近江鉄道と言えば、古典電機の博物館として有名でしたが、現役を退いた機関車達はしばらく意味不明な保管期間を経て、自社のミュージアムに落ち着きました。これで一安心と思っていましたが、世の中そんなに甘くはありません。本業の経営が傾くと真っ先に槍玉に上がったのがミュージアムの閉館=保存車両の放棄でした。これは非常に残念でした。

しかし、この頃はまだミュージアムの計画など全くない二昔以上も前でした。

 

1.ED314 (彦根:1996年11月)

さて、この当時の近江鉄道の電機の内訳は下記の通りでした。

・ED14形4両:ED141~144 全車在籍(141,144は稼働状態)

・ED31形5両:ED311~315 4両在籍(313,314は稼働状態、315は廃車保管)

・ED4000形1両:ED4001 1両在籍

・ロコ1100形1両:ロコ1101 1両在籍(稼働状態)

結局、廃車やもう走らない車両も含めて、全ての電機が彦根構内に存在していました。

 

2.ED4001標記 (彦根:1996年11月)

ED4001は元東武ED101です。1930年EE製の舶来機ですが、非常に電気を喰う電機として東武では手を焼いていたそうで、1950年に近江にやって来ました。前回訪問時は数珠つなぎでまともな撮影ができませんでしたが、この日はもっとギュウギュウ詰めで、前面の撮影は困難でした。お茶濁しですが、側面の標記だけは撮れました。この機関車は現在東武鉄道に返還されて、東武鉄道博物館で手厚く保存されています。

 

3.モハ1,ED313 (彦根:1996年11月)

そして、ED31形です。ED313はED314と共に稼働状態にありました。その生い立ちは1923年石川島造船所と芝浦製作所のコラボで誕生した伊那電の40t機で、これこそ国産の古典電機です。伊那電から各地に離散して活躍しましたが、なぜか上信へ行ったED316以外の5両は再び近江に集いました。

 

4.ED313 (彦根:1996年11月)

ED31形は何となく、動物に例えるとアルマジロの様な顔をしています。この窓が小さく装甲車の様な車体は、他に類を見ない風貌です。ED31形の車歴につては、第467話をご覧下さい。

 

5.ED314 (彦根:1996年11月)

ED31形は5両在籍していました。近江八幡の貨物輸送がなくなった1986年には、ED311,312,315が失業してそのまま保管となり、再起しませんでした。ED313,314は1988年まで貨物輸送に充当されましたが、その後は失業して保線車の牽引機となりました。

 

6.ED314 (彦根:1996年11月)

この産業遺産的に貴重な電機もミュージアムの閉鎖で行く末に行き詰まりました。幸いED314とED313は引き取り先が決まり、解体を免れて現在保存されています。ED314は地元で保存。ED313は製造元の後身である東芝インフラシステムズに戻りました。

 

7.ED314、元西武クモハ436 (彦根:1996年11月)

本当はもう1両くらい、この電機の製造元だった石川島造船の後身であるIHIにも保存してもらいたかったのですが・・・。