ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1250話 1996年京福(越前):真夏の永平寺線(その2)

京福電鉄は1992年に勝山線の東古市~勝山間と永平寺線の廃止を表明していました。永平寺線は、終点に有名な永平寺があり、その参拝客輸送を担っていますが、実態はバスに完敗状態で、沿線の利用客もほとんどいません。しかし、なかなか踏ん切りがつかず、ズルズルと運行は続きました。

 

1.モハ251 (諏訪間~東古市:1996年8月)

今回、永平寺線に出向いたのはモハ250形の撮影が目的でした。この頃になると、全国的にモハ250形の様な1Mの半鋼製電車は激減しており貴重な存在になっていました。もし、モハ250形がいなかったら、おそらく京福越前本線はパスしていたと思います。

 

2.モハ251 (諏訪間~京善:1996年8月)

さて、撮影は諏訪間~京善間へ移動しました。陽の向きはほぼ真横です。まだ太陽の高度が高いので、相当絞り込まないと白い車体が跳ねてしまいます。真横から見ても、モハ250形はなかなか好ましいスタイルの電車です。

 

3.モハ251 (諏訪間~京善:1996年8月)

この日は、徐々に雲も晴れて快晴になりました。運良くモハ251も走っており、夕暮れまで永平寺線で撮影を続けることにしました。

 

4.モハ251 (京善~諏訪間:1996年8月)

この駅間は民家がほとんどありません。昭和の写真と言っても通用しそうです。永平寺方面に向かって急な片勾配が続きます。夏なので軌道脇に雑草が生い茂っていますが、まだこの程度なら問題ありません。

 

5.モハ251 (京善~諏訪間:1996年8月)

田圃の稲穂もそろそろ黄色く色づき始めており、眩しいくらいです。この調子だと、夕暮れ時の撮影が楽しみです。

 

6.モハ251 (諏訪間~京善:1996年8月)

この頃のモハ250形は元気でした。モハ250形が使用できなくなった時が、永平寺線の終わりだと冗談半分に思っていましたが、2002年にそれが現実になってしまいました。