ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第82話 1985年京福(越前) 福井の二大私鉄(その4)

福井に存在するもう一つの私鉄が京福電鉄(福井支社)でした。

“でした。”と、過去形になってしまいましたが、現在の路線は京福電鉄ではなく、運営を引き継いだ新生の「えちぜん鉄道」です。その紆余曲折の経緯は、ここでは言及致しませんが、この路線の悲劇を忘れてはなりません。

さて、京福電鉄は当時、京都と福井に路線を持つ私鉄で、それが社名の由来でもあります。福井鉄道福井市から南側の私鉄を統合して構成された会社でしたが、京福電鉄は北及び東側の私鉄を統合して構成され、一時は95kmに及ぶ路線を有していました。しかしこちらも福井鉄道と同様、モーターリゼーションの影響で昭和40年代には路線の1/3分ほどが廃止となり、1985年時点では越前本線、永平寺線、三国線の3路線で約60km程になっていました。

 

1.モハ241+モハ242他 (三国港:1985年9月)

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この日は前夜から三国港に車を留めて車中泊だったので、朝一から京福電鉄三国港に出向きました。ちょうどオリジナル車体のモハ241形がホームに止まっており、幸先の良いスタートでしたが、写真をご覧の通り、この頃京福電鉄阪神電鉄からジェットカーのお古を大量購入しており、これが原因でこの日は福井鉄道の撮影が優先されました。 

モハ241形(注1)は、元を正せば京都の叡山線から1944年に転籍して来たデナ11形(デナ11~14)です。転籍後は不随車ホクハ31形となりますが、1949年に再び電装化されてホデハ241形となりました。その後1957年に日本車輌(ホデハ241,242)とナニワ工機(ホデハ243,244)で鋼体化を行いスマートなクロスシート車となりました。

(注1)モハ241形の車歴:京福モハ241~244←京福ホデハ241~244←京福ホクハ31~34←京福デナ11~14:1926年日本車輌

 

2.テキ6 (福井口:1985年9月)

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 この日朝一で京福電鉄を撮影しましたが、日中は福井鉄道に熱中していたため、京福電鉄の訪問は夕方になってしまいました。すでに陽も傾き、焦って福井口に向かいました。

まずはさておき、見たかったのは京福の"お宝”テキ6(注2)です。この貧弱そうな車両が電気機関車なのです。大正9年生まれの木造車でしたが1965年に自社工場で鋼体化されました。1985年時点では本線に出ることはなく、福井口の車両工場入換機として残っていましたが、車籍もありました。この車両はなんだかんだ生き延び、1993年に除籍されたものの1999年には車籍が復活するゾンビのような車両で、えちぜん鉄道に譲渡後の2002年に除籍されたものの現在も動態保存されています。

(注2)テキ6の車歴:京福テキ6←京都電灯テキ6:1920年梅鉢鉄工所製

 

3.モハ271+モハ273(福井口:1985年9月)

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モハ271形(注3)は、小田急開業時に製造されたモハ1形を前身とする車両で、その後相模鉄道経由で1964年に京福にやって来ました。相模時代に3連化されて、そのまま京福に入線しましたが、輸送需要の低迷で1983年に中間車を廃車し2連化されました。

(注3)モハ271形の車歴:京福モハ271,273←京福ホデハ271,273←相模モハ1004,1006←相模デハ1158,1162←東急デハ1158,1162←小田急モハ8,12:1927年日本車輌

 

4.非貫通の元ジェットカー モハ2116+モハ2115(福井口:1985年9月)

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 私は全く興味がないジェットカーですが、地方鉄道に払い下げされる際に、いろいろと改造を施したことに興味が持てました。両運化、2ドア化は琴電でも見られましたが、京福には非貫通のジェットカーがいました。これは武庫川車輌にて両運化の際に運転室を新設した連妻側を、オリジナルの前面としたうえで非貫通3枚窓としており、全く違和感がなく、元からこの顔だったと思わせます。本家の阪神にはない模型的な顔でしたが、残念ながらその後貫通化されました。

ところで、このモハ2101形は両運車、片運車など16両も在籍していました。いずれも元阪神の車両ですが、1982年~1985年にかけて元南海1201形だった2001形の更新名目で導入されたものです。書類上はモハ2101~2108が新造名義、モハ2109~2116が改造名義でした。

 

5.モハ281+モハ282(越前開発~福井口:1985年9月)

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お見苦しい写真ですが、突然やってきたモハ281形(注4)です。

この車両は元東急デハ3300形を4両譲受し、1975年~1976年に2連2編成が竣工しました。写真のモハ281+モハ282ですが、モハ281は1979年に更新を受けており、ノーシル・ノーヘッダー車体となり、特に前面はHゴム固定窓化されたため東急デハ3300形らしからぬ、間抜けな顔になってしまいました。

なお、元が東急デハ3300形だけあって、各車の生い立ちは相当なものです。東急デハ3300形は、溯れば大正時代の院電デナ6110形やデハ6300形の台枠流用で東急時代に鋼体化された車両でわけがわかりません。

(注5)モハ281+モハ282の車歴 

京福モハ281←東急デハ3307:1937年川崎車輌改造

京福モハ282←東急デハ3308:1937年川崎車輌改造

 

6.モハ251+モハ252 (東古市:1985年9月)

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福井口を訪問後、日没直前の東古市に出向きました。そこにいたのは永平寺線のモハ251+モハ252でした。

 モハ251形(注6)は、福井口車庫の火災で焼失した車両の電気品などを流用し、1957年に日本車輌で車体を新製した車両で、モハ241形の形態を踏襲しました。

(注6)モハ251形の車歴

京福モハ251←京福ホデハ251←京福ホデハ15:1929年日本車輌

京福モハ252←京福ホデハ252←京福ホデハ17:1930年日本車輌

京福モハ253←京福ホデハ253←京福ホデハ222:1928年日本車輌

京福モハ254←京福ホデハ254←京福ホデハ103:1929年日本車輌

いずれの車両も使用した電気品を供出した種車の名義を引き継ぎました。なお、種車となったホデハ103だけは火災を免れた車両で、電気品はモハ254に供出しましたが、車体は焼失したホサハ17Ⅱとなりました。

このモハ251形は阪神ジェットカーの大量導入後もモハ251,252の2両が生き残りますが、モハ251が起因となった悲劇により、京福電鉄は福井から鉄道業を撤退することになりました。

東古市でモハ251形を撮影後、だめもとで走行写真にチャレンジしましたが、露出不足でとてもまともな写真になりませんでした。そしてそのあとは越前大野から一気に山を越えてこの日のうちに岐阜まで移動し、翌日は名鉄揖斐・谷汲線近鉄北勢線をまわって浜松まで移動し、明後日は第60~64話で報告した大井川鉄道に続きます。