ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第81話 1985年福井 福井の二大私鉄(その3)

福井鉄道はかつて貨物輸送も行っていたので、電気機関車保有していました。

1985年当時はすでに貨物輸送をやめた後だったので、機関車は全て失業状態でした。

 

1.デキ2 (西武生:1985年9月)

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デキ2(注1)は、三井三池工務所(三池鉄道)が発注した東芝製の25t機ですが、完成後は三池には行かず直接福武線に納車されたという、いわく有りそうな機関車です。1979年の福武線貨物輸送廃止まで活躍し、その後は西武生工場の入換に従事しましたが、不調のためデキ3に任務をバトンタッチしそのまま廃車となりました。

(注1)デキ2の車歴:福鉄デキ2←三池?:1949年東芝

 

2.デキ3 (西武生:1985年9月)

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デキ3(注2)は、南越線で電気機関車代用で使用されていたモハ111が事故で大破したため、1976年に急遽遠州鉄道から譲受した25t機です。1981年に南越線が廃止されると福武線に移り、鉄道線区間除雪車として使用されましたが、その後デキ2に代わり西武生工場の入換機となり現在も生き延びています。

(注2)デキ3の車歴:福鉄デキ3←遠州ED213←名鉄デキ111←東洋紡績:1951年東洋電機製(車体は日本鉄道自動車製)

 

3.デキ1 (西武生:1985年9月)

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 デキ1(注3)は、福井鉄道の前身である福武鉄道デハ4の台車と電装品を流用して新製された25t機で、ボンネット上にエアタンクを載せた独特の形態をしていました。新製当初は福武線に在籍していましたが、デキ2導入後は長らく南越線に移り、貨物輸送を担っていました。1981年に南越線の廃止により福武線へ戻ったものの全く使用されず、1985年時点で休車扱いとなっていました。

(注3)デキ1の車歴:福鉄デキ1:1935年芝浦製作所

 

4.モハ11 (西武生:1985年9月)

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西武生車庫に元南越線で活躍したモハ11(注4)が留置されていました。

モハ11は福武電鉄フハ1という客車を前身としますが、電装後に福井地震で被災し、その際に広瀬車輌で車体を新製しました。モハ42とコンビを組んでいましたが、モハ42がモハ143-1に抜擢されたため、その後は南越線で予備車扱いとなりました。南越線廃止後は福武線に転じましたが活躍する機会がなく、西武生に留置されていました。

(注4)モハ11の車歴:福鉄モハ11←福鉄デハ6←福武デハ6←福武フハ1:1925年日本車輌

 

5.モハ132,モハ131(浅水:1985年9月)

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 モハ130形(注5)は南越線用に自社工場で製造された車両です。

モハ200形を見習ったとのことですが、北陸鉄道同様に福井鉄道の技量も相当なものでした。コンパクトにまとまった車両で、南越線廃止後福武線に転じましたが、14m車なので輸送力不足で使用されず、置き場所もないので浅水駅の側線に留置されていました。車体はまだ新しかったですが、結局解体されてしまいました。

(注5)モハ130形の車歴:福鉄モハ131,132:1962年,1963年福井鉄道

 

その後、福井鉄道は静岡鉄道からモハ300形を導入し、急行専用車だったモハ200形を各停用に格下げしますが、しばらくは陣容もほとんど変わりませんでした。しかし、並行する北陸本線が都市型ダイヤを採用して運転本数を増やす頃には、輸送需要も低下して苦しい状況になります。