福井鉄道は普通鉄道ですが福井市内に併用軌道区間があり、大型車がそのまま道路を走ります。新潟交通同様に道路上を走る様は異様でした。当時は高床車ばかりだったので、併用軌道区間の電停では乗降の段差が大きいため、全列車に折り畳み式のステップを搭載していました。現在では段差がないLRVが導入されていますが、LRVなど当時は考えられませんでした。
1.モハ143-1+モハ143-2(家久~上鯖江:1985年9月)
さて、モハ140形の続きですが、写真のモハ143-1+モハ143-2(注1)は、武生新寄りパンタ付きのモハ143-1が鯖浦電鉄モハ42を前身とする福井鉄道生え抜き車両、田原町寄りパンタなしのモハ143-2が知多鉄道を前身とする元名鉄からやって来た車両です。
モハ141編成とモハ142編成は共に、元長野電鉄モハ300形と元名鉄モ900形を組合せたものでしたが、モハ143編成は長野車が足りず、余っていた予備車のモハ42を名鉄車のパートナーに充当しました。
モハ143編成は、1981年にモハ141編成と同様の改造を受けて2連固定編成化されましたが、前面窓が国電風の3連窓となり、古い車体に全くマッチしていません。しかし、このちぐはぐさがローカル私鉄の面白さです。
2.モハ143-1+モハ143-2(家久~上鯖江:1985年9月)
(注1)モハ143-1+モハ143-2の車歴
モハ143-1+モハ143-2はいずれも新車名義ですが、実際の車歴は下記の通りです。
・福鉄モハ143-1←福鉄モハ42←鯖浦デハ12:1929年加藤車輌製
・福鉄モハ143-2←名鉄モ907←名鉄モ901←名鉄ク2331←名鉄モ911←知多デハ911:1929年日本車輌製
3.モハ143-1+モハ143-2(家久~上鯖江:1985年9月)
パンタ付きのモハ143-1となったモハ42は、もともと木造車でしたが1953年に愛知富士産業で新製車体に更新されました。しかし小型の13m車だったため、モハ140形化に際して車体を15m化するなど、かなり大掛かりな改造となりました。
4.モハ161-1+モハ161-2(武生新:1985年9月)
福井鉄道の“お宝”は、このモハ161形(注2)です。
この車両は元々福井市内線用の10m足らずの小型両運車でしたが、福武線・鯖浦線で使用するため1968年に連接車化されました。種車は2両共同形車ですが、モハ161-2は福井地震で被災した際に改修されて側窓が2段上昇窓となったので、側面だけ見るとこの2両が違う車両だったように見えます。よく見ると台車も異なります。連接車化に際し前面を切妻2連窓としたため、奇妙な風貌となりました。
5.モハ161-2+モハ161-1(武生新:1985年9月)
モハ161形は、鯖浦線と福武線の直通運用に充当されていましたが、鯖浦線の廃止後は輸送力が小さいため予備車的存在となっていました。
(注2)モハ161形の車歴
・福鉄モハ161-1←福鉄モハ61←福武デハ21:1933年日本車輌製
・福鉄モハ161-2←福鉄モハ62←福武デハ22:1933年日本車輌製
6.モハ121-1+モハ121-2(西武生:1985年9月)
モハ121-1+モハ121-2(注3)は、戦後に福井鉄道が初めて自社発注した運輸省規格型電車モハ120形と、三河鉄道を前身とする元名鉄モ3000形を2連固定編成化したものです。元名鉄3000形の方は、当初名鉄車同士でモハ151+クハ151の2連を組み、南越線で使用されましたが、1971年南越線の部分廃止後に福武線へ移り、編成を解いてそれぞれ新たにモハ120形とコンビを組み直しました。その時点では名鉄車はクハとなりましたが、その後モハ化されました。
(注3)モハ121-1+モハ121-2の車歴
・福鉄モハ121-1←福鉄モハ121:1950年日本車輌製