ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第193話 1986年富山地鉄 通勤列車は観光列車(その3)

立山砂防軌道の帰りに富山地鉄稲荷町車庫を訪問しました。

ちょうど夕方のラッシュに向けてほとんどの列車は出払って閑散としていましたので、車庫内を一回りして本線のホームで行き来する列車も撮影しました。

 

1.モハ14711+クハ11 (稲荷町:1986年10月)

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 稲荷町駅は本線と不二越線(上滝線方面)が分岐する駅で、それぞれホームが離れており、両線の間に車庫があります。不二越線は列車本数が少なく、陽の向きも良くないので、本線のホームで撮影しましたが、意外に列車本数が多くて驚きました。

富山地鉄地鉄富山~稲荷町間は複線ですが、その先は本線も不二越線も単線です。しかし本線の列車は単線を10分間隔ほどで行き来します。運用も各停のほかに急行、特急があり、国鉄からの乗り入れ列車も走り、かなり高密度のダイヤで、ここだけ見ていると大手の私鉄並みです。

 

2.モハ14755+モハ14750形 (稲荷町:1986年10月)

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 行き来する列車も多彩で、ここにいれば全車種を見ることができます。

吊掛車のモハ14750形(注1)の2連がやって来ました。この車両は戦後に自社発注された運輸省規格型電車で、当初はMT2連で登場しましたが後に全車両運電動車に改造されて本形式に改番されました。吊掛車ですが増結車としてカルダン車にも連結でき、一応固定のセミクロスシート車なので特急の運用にも使用されました。

(注1)モハ14750形の車歴

地鉄モハ14751←地鉄モハ1501:1948年日本車輌

地鉄モハ14752←地鉄モハ1502:1948年日本車輌

地鉄モハ14753←地鉄クハ1051:1948年日本車輌

地鉄モハ14754←地鉄クハ1052:1948年日本車輌

 

3.モハ14763+モハ14764+モハ14790形 (稲荷町:1986年10月)

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 富山地鉄の車両は、多客期は凸凹編成が楽しめ、新しい車両もついつい撮影してしまいました。

 

4.モハ10023+モハ10024 (稲荷町:1986年10月)

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 稲荷町車庫には、モハ10020形(注2)2連がいました。

この車両は、当初MTMの3連で登場しましたが、その後運用の見直しで中間車を外してMM2連化され、はずされたT車はクハ化されました。

(注2)モハ10020形の車歴

地鉄モハ10021+モハ10022:1961年日本車輌

地鉄モハ10023+モハ10024、モハ10025+モハ10026:1964年日本車輌

 

5.モハ14773+モハ14774 (稲荷町:1986年10月)

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 現在も主力のモハ14760形(注3)2連です。

この車両はとてもローカル私鉄が導入するような車両ではなく、立派過ぎて全く興味が沸きませんが、勢いで撮影しました。

しかも、この車両は新製当初から冷房付きで当然の転換クロスシート搭載です。一発花火ではなく、名目上支線向けにも3次に分けて導入されて、MM2連7編成14両と同型の増結用クハ175形1両の大勢力です。そもそも地鉄創立50周年を記念して製造された車両ですが、これだけの投資ができた富山地鉄はやはりスジガネ入りの観光路線です。

(注3)モハ14760形の車歴

地鉄モハ14770+モハ14761←地鉄モハ14760+モハ14761:1979年日本車輌

地鉄モハ14762+モハ14763、モハ14764+モハ14765:1979年日本車輌

地鉄モハ14766+モハ14767、モハ14768+モハ14769:1980年日本車輌

 

6.デキ12021 (稲荷町:1986年10月)

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 1986年当時、富山地鉄はすでに貨物輸送は行っていませんでしたが、車籍のある電気機関車が2両いました。そのうちの1両であるデキ12021(注4)は黒四ダム建設資材の運搬用に導入された機関車で、当初は関西電力の所有でした。富山地鉄の所有となってからは一般の貨物輸送に使用されましたが、貨物輸送が廃止された後は保線用として残りました。

(注4)デキ12021の車歴

地鉄デキ12021←関西電力デキ12021:1958年東芝