富山地方鉄道は、富山県内の中小私鉄を統合し、以前から立山や黒部の観光輸送と地域輸送を担う、北陸地方では一番規模の大きい私鉄です。しかし実態は長大なローカル線で、地域輸送の方は厳しく、かなり身を削って現在に至ります。一方、観光輸送の方は、立山黒部アルペンルートにも含まれ、1985年当時は国鉄から特急や急行列車が乗り入れ、自社の車両も観光用にクロスシート車を主体とした大手私鉄並みの優秀車両が揃っており、笹津線や射水線亡き後は一段と観光鉄道の傾向が高くなったように思われます。
そんなわけで、優秀車両にはあまり関心がない私は、北陸地方の私鉄早回りの時も、富山地鉄は眼中になかったわけですが、立山砂防軌道の帰り道で、当時辛うじて残っていた吊掛電車の存在を知り、そこから富山地鉄とのかかわりが始まりました。
1.モハ14713+クハ13 (立山:1985年9月)
1985年当時の富山地鉄は、ほとんどの電車が自社発注車でしたが、モハ14710形+クハ10形(注1)の7編成14両だけは名鉄から譲受した車両でした。この車両は元名鉄モ3800形+ク2800形で、富山地鉄には借用車としてやって来ましたが、1968年~1969年に正式に譲受となりました。全車吊掛車ですが、特急運用のため4編成はドア間クロスシート車となり、残り3編成はロングシート車でした。
2.モハ14713+クハ13 (千垣~有峰口:1985年9月)
(注1)モハ14710形+クハ10形の車歴
・地鉄モハ14711+クハ11←名鉄モ3807+ク2807:1948年日本車輌製
・地鉄モハ14712+クハ12←名鉄モ3808+ク2808:1948年日本車輌製
・地鉄モハ14713+クハ13←名鉄モ3809+ク2809:1948年日本車輌製
・地鉄モハ14715+クハ15←名鉄モ3811+ク2811:1948年日本車輌製
・地鉄モハ14716+クハ16←名鉄モ3812+ク2812:1948年日本車輌製
・地鉄モハ14717+クハ17←名鉄モ3814+ク2814:1948年日本車輌製
・地鉄モハ14718+クハ18←名鉄モ3815+ク2815:1948年日本車輌製
3.モハ14710形+クハ10形+モハ14780形+クハ180形 (千垣~有峰口:1985年9月)
富山地鉄の魅力は車両以上に沿線にあります。特に立山連峰を背景とした沿線風景は絵になります。そんな沿線風景に魅了されて、その後も何度も通ってしまいました。
4.モハ14783+クハ183 (立山:1986年10月)
モハ14780形+クハ180形(注2)は、富山地鉄で初めて2連用にMT編成で製造された車両です。ベースは先に製造された両運で地方鉄道初のカルダン車だったモハ14770(後のモハ14790形)で、前面2枚窓非貫通のスタイルはこの車両からです。当初は前照灯がおでこに1灯で側窓は1段下降タイプでしたが、後に前照灯のシルドビーム2灯化、側窓のアルミサッシ2段化が図られ、写真のスタイルとなりました。
実際のところ、この車両は一般輸送と観光輸送の両立を狙った地鉄タイプの原型とも言え、その後の地鉄車両のイメージを確立したと言っても過言ではないと思います。
観光地を有する地方私鉄は、一般車に混ざって観光列車が走るのがたいていのパターンですが、富山地鉄の場合は、観光列車が通勤通学やローカル輸送も担っていて、通勤列車=観光列車と言ったところです。
5.クハ183+モハ14783 (立山:1986年10月)
(注2)モハ14780形+クハ180形の車歴
6.モハ14713+クハ13 (千垣~有峰口:1986年10月)
この写真は、1986年10月の立山砂防軌道を訪問した後に寄り道して撮影したものです。この場所は前年にも撮影を行った場所ですが、立山線は山岳路線なのでまともに撮影できる場所があまりなく、この場所は格好の撮影ポイントです。
7.モハ14760形+モハ14760形+クハ175 (千垣~有峰口:1986年10月)
モハ 14760形が増結車のクハ175を連結して、3連で山を上がって来ました。この場所なら4連も真横から余裕で撮影できます。この方向からの撮影は午後から順光となりますが、山間部なので夕方は日陰となるので要注意です。
なお、この場所は鉄橋の左側が千垣駅、右側が有峰口駅となります。最寄りは有峰口となりますが、未舗装の道があり、歩くと20分位かかります。