ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第83話 1985年立山砂防 まだ緩かった時代

「ローカル線の回顧録」と銘打ってブログを始めましたが、私は専用線にも非常に興味があり、写真データもそれなりにあることから、本ブログに便乗してご紹介させて頂きます。

 今回は1985年に初めて訪問した立山砂防工事軌道です。この軌道は現在も存在しますが、現在は軌道内の立入りは一切禁止されており、これからご紹介するような写真の撮影は極めて困難です。当時は、“まだ緩かった時代”であったことを、あらかじめご承知おき願います。

立入禁止の理由は危険だからです!!。

そもそもこの軌道は常願寺川砂防ダム建設とその維持管理のために存在する軌道です。過去には大規模な土砂崩れで軌道が流されたり、砂防ダム以前に軌道の維持だけでもかなりのものです。いつ訪れても常に工事現場そのもので、自然との闘いは正に自転車操業です。私が撮影に出向いた際にも、目の前に頭の大きさ程ある岩が落ちてきて身の危険を感じたことがありました。猿やカモシカにも遭遇しました。熊もいるそうです。

なお、現在は抽選による見学会が毎年実施されており、天気さえ良ければトロッコ列車に全線乗車もできますので、ぜひそちらをお薦めします。

 

1.一つ目玉の酒井5t機 (千寿ケ原:1985年9月)

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 立山砂防は軌間610㎜のナローゲージです。当時は全線18km程に42段のスイッチバックがありましたが、土砂災害のため訪問するたびに軌道ルートが変わっていました。最近では災害回避のため、軌道のトンネル化が進み、見所が減ってしまいました。

私が最初に訪れたのは、北陸地方のローカル私鉄早回りの途中でした。立山砂防に関する情報は、鉄道誌(知られざるナローたち:丸善出版、レールマガジン№18:BEST・トロッコ)の記事程度しかなく、その存在すら定かではなく、とにかく行ってみないと分からない状況でした。

 

2.一つ目玉の酒井5t機 (千寿ケ原:1985年9月)

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何の情報もなく朝7時過ぎに千寿ケ原に到着すると、すでに出庫の準備中で、まもなく木造のガレージから緑色の小さな機関車が一斉に飛び出して来ました。 機関車はすべて工事用の5tDLで、北陸重機製が主流になりつつも、酒井工作所製もまだまだ健在でした。

 

3.資材列車の組成(千寿ケ原:1985年9月)

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 列車はスイッチバックの折返し場所の有効長の関係で、DL1両の牽引は貨車も人車も3両以内で、輸送力をカバーするため3,4列車続行運転されていました。ダイヤは、千寿ケ原を起点に午前と午後に1往復設定され、いずれも続行運転で途中折返しの区間運転の他、臨時列車も多数運転されていました。

 

4.北重の牽く人車列車(千寿ケ原:1985年9月)

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この写真は朝の通勤列車です。千寿ケ原から終点の水谷までたっぷり1時間45分程の乗車ですが、このトロッコで毎日往復3時間半の通勤は苦痛だと思います。当時、通勤用のトロッコ(人車)は 写真の様なオープンタイプの他、雨風がしのげるアコーデオンカーテン付やアルミサッシの小屋の様なタイプもありましたが、どの車両も貨車と同じ足回りで、乗り心地もそれなりです。しかし、トロッコと言えども最急83‰の勾配を走るので人車はすべて貫通制動付きでした。

 

5.出発前のひと時、SKW2態(千寿ケ原:1985年9月)

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写真はSKWのツーショットです。人が写っていなければジオラマの様です。

DLは個々に貨車や人車の組成が済むと出発まで一服です。この日は快晴で暑い日になりました。

 

6.入山はバック推進(千寿ケ原:1985年9月)

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 午前8時頃になると待機していた列車が順番に出発して行きます。列車は千寿ケ原の構内の端にある最初のスイッチバックで方向転換し、お尻から本線に入って行きます。次々と続行で出発してゆき、突然静かになりました。さて、これからどうする?

この日は友人と2人だったので、トロッコに乗せてもらえないか、砂防事務所に向かい便乗のお願いをしました。しかし、危険なのでダメとのことで、仕方なく沿線で撮影することにしました。