ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第86話 1987年日立 ローカル私鉄的改造車の美学

 今回ご紹介する日立電鉄は、沿線大企業の日立製作所及びその関連企業に通う従業員の通勤路線であり、日立製作所の傘下でもありました。しかしながら、新幹線も製造する天下の日立製作所の一翼の割に電車は雑多な中古車ばかりで、1985年当時はまだ営団2000形を譲受する前の、ちょっとした中古電車博物館の様でした。

 ところで日立電鉄といえば、つい最近まで走っていたような気がしますが、2005年に廃止となってから既に14年になります。年を取ると歳月の感覚が鈍ってしまいヤバイです。

1.本来ならお宝?クハ2501、モハ13 (鮎川:1987年3月)

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1987年 当時の日立電鉄には、26両も電車がいました。それでも以前に比べてかなり整理されていました。在籍車の大半はどういうわけか相模鉄道からやって来た車両で、小田急や静岡鉄道などもいましたが、日立製作所製の自社発注車も4両いました。

上の写真の2両は、左がクハ2501(注1)、右がモハ13で共に相模鉄道からの移籍車で、形態は全く異なりますが、いずれも前身は気動車です。しかも、いずれも製造当初は斬新な流線形で、輝かしい製造経緯とそのデザインを鑑みると、日立電鉄の“お宝”と言っても過言ではありませんが、この面相に面影は全くなく“お宝崩れ”でした。日立電鉄は独自の 改造ポリシーがあったようで、導入車両はことごとくテコ入れされました。

クハ2501は元を正せば、東急東横線の前身である東横電鉄の急行用流線形ガソリン動車でした。相模鉄道の前身である神中鉄道に譲渡された後にクハ化、その後流線形を半流化し、1961年に日立にやって来ました。

(注1)クハ2501の車歴:日立クハ2501←相模クハ2502←神中クハ1112←神中キハ2←東横キハ4:1936年川崎車輌

日立電鉄には、クハ2500形が4両在籍しましたが、クハ2501,2502が元東横キハ1形、クハ2503,2504が元相模オリジナルのクハ2500形です。クハ2501,2502はほぼ同形車ですが、クハ2502は1982年に廃車されました。

 

2.クハ2504+モハ1009 (常陸岡田~川中子:1987年3月)

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 写真はクハ2504+モハ1009の2連ですが、この編成はラッシュ時の限定運用です。当時日立電鉄は通勤ラッシュ時には2~4連を投入しないとさばけない程の輸送需要がありました。しかし、対照的に日中は単行でも余裕がある程閑散となるため、列車もラッシュ用と閑散用に編成分けされており、この2連も朝のラッシュが終わると夕方まで長い昼寝となります。よって、保有車両数が多くなってしまい、効率は宜しくありませんでした。この非効率の理由は、寄せ集めた車両なるがゆえの悩みで、車両によって制御方式がバラバラだったので、自由に編成の組み替えができなかったからです。雑多な電車は制御が統一されていた気動車と比較してローカル鉄道泣かせでした。

クハ2504(注2)は1979年に譲受した元相模鉄道の2000系(クハ2500形)で、この系列は相模鉄道が雑多な17m級車両を一形式にまとめ、1960年代に形態統一を行った車歴的に非常に厄介なグループの一員です。

(注2)クハ2504の車歴:日立クハ2504←相模クニ2506←相模クハ2506:1967年東横電設車輌製

なお、相模クハ2506は元国鉄クハ504を形態統一で生まれた車両ですが、更に遡ると青梅電鉄モハ504を前身とする買収国電でした。

 

3.モハ1009+クハ2504 (川中子~常陸岡田:1987年3月)

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クハ2500形の相棒はモハ1000形でした。ところで日立電鉄のモハ1000形というのがまたバラエティーに富んだ車両でした。モハ1000形は全部で9両在籍していましたが、まずはこの9両+サハ1500形1両の合計10両が全てが元小田急の車両で、小田急が開業時に導入したモハ1形が前身です。これが3つのグループに分かれて日立電鉄にやってきました。第1グループが1960年に小田急から直接譲受したモハ1004~1006及びサハ1501、第2グループが1963年に相模鉄道から譲受したモハ1001Ⅱ~1003Ⅱ、第3グループが1979年に相模鉄道から譲受した元荷電のモハ1007~1009です。

これらの車両は、両運車、片運車、中間車となり、単行運転から編成運転まで対応していました。

 

4.モハ1009+クハ2504 (小沢~常北大田:1987年3月)

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5.モハ1009+クハ2504 (川中子~常陸岡田:1987年3月)

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クハ2504と組んでいたのはモハ1000形第3グループのモハ1009でした。この2連もラッシュ時の限定運用でした。モハ1000形第3グループは他のモハ1000形に比較し古臭い車体ですが、これがオリジナルに近い形態です。ただし、相模時代に荷電化されたため、中央ドアが荷電仕様の大型両引き扉そのままです。最近の首都圏通勤電車もワイドドアが一部で採用されていますが、日立電鉄ではそんな大きなドアは必要ないので、この中央ドアは片側を締め切って片引きドアとして使用されていました。

 

6.モハ1001Ⅱ+クハ2501 (川中子~常陸岡田:1987年3月)

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 クハ2501と組んでいたのはモハ1000形第2グループのモハ1001Ⅱ(注3)でした。

モハ1001Ⅱは改造で原型は損なわれていますが、日立タイプのモハ1000形と言える形態をした片運車でした。

このモハ1000形第2グループはモハ1001~1003の2代目となっていますが、第1グループのモハ1004~1006が当初モハ1001~1003の初代でした。第2グループは相模時代の車号がモハ1001~1003であり、日立ではそのまま車号を採用したため、第1グループを追番であるモハ1004~1006に改番しました。

(注3)モハ1000形(1001Ⅱ)の車歴
・日立モハ1001Ⅱ←相模モハ1001←相模デハ1155←東急デハ1155←小田急モハ5:1927年日本車輌