ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第85話 1985年立山砂防 まだ緩かった時代(その3)

中小屋のおばさんは他の連絡所と電話で連絡を取り合う連絡員でした。列車の位置情報を一番把握しているので、列車のことはおばさんに聞けば間違いありません。ちなみに連絡所のおばさん達も朝一の通勤列車で通っています。

 

1.空谷の素掘りトンネル (中小屋~千寿ヶ原:1985年9月)

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 次は臨時の人車が登って来るとのことで、今度は少し戻って、素掘りトンネルで北重の牽く人車を撮影しました。このトンネルは岩をくり貫いただけのトンネルです。現在もこの区間は残っています。

 

2.戻りの続行列車(中小屋スイッチバック:1985年9月)

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 おばさん情報で、今度は今朝登って行った列車が戻って来るとのことで、再び中小屋スイッチバックに戻りました。今朝続行だった列車は、やはり続行で戻ってきました。4列車の続行は壮観です。

 

3.戻りの続行列車(中小屋スイッチバック:1985年9月)

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戻りの列車はDLのバック運転が基本です。運転手さんは横向きに乗りマスコンを操作します。1985年当時、DLは全てオートマ車になっていました。最新の北陸重機製はオイルモーター駆動です。

スイッチバックでは、 先頭列車の運転手または助手がポイント操作を行っていました。現在は地上子を利用した自動転換になっていますし、列車無線も装備されています。

 

4.戻りの続行列車(中小屋スイッチバック:1985年9月)

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 この日は午前の戻り列車を撮影して引き上げました。この翌年にはもう少し先まで歩きましたが、実は中小屋から先が立山砂防のハイライトでした。さすがに中部山岳国立公園立山だけあって、雄大な景色と危険が一杯でした。

 

5.下から見上げた津之浦橋梁 (千寿ケ原~中小屋:1985年9月)

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帰り際に、常願寺川沿いの作業道を車で遡り、津之浦橋梁の下に向かいました。ちょうど午後の列車が鉄橋を渡る写真が撮れました。あそこから落ちたら命はありません。よくあんな所を歩いたものです。しかし、この鉄橋も現在は廃止されて、軌道はトンネルになってしまいました。 

上記訂正します。津之浦トンネルが開通しルート変更されましたが、津之浦橋梁は現存します。 なお、津之浦橋梁が出来る前は、等高線に沿って谷を迂回するルートだったようです。

 

6.謎の資材運搬軌道 (小口川第2発電所:1985年9月)

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 さて、立山砂防のあとは、残念なおまけです。

当時建設省国土地理院の発行する地形図には、立山砂防の近くに資材運搬軌道なる標記がありました。以前から非常に気になり、この日、立山砂防の帰りに思い切って行ってみました。ところがとんでもない山の中です。工事用林道を車でさまよいながら、ようやくたどり着いた水力発電所から先は徒歩です。作業用の索道があり、高低差は200m程あり、その上部まで登らねばなりませんでした。夏の炎天下、獣道を30分程登り、疲労困憊でやっと着いたのが写真の場所でした。

ここは地図では資材運搬軌道の起点です。しかし、軌道がない!!

もう廃止されてしまい、このトラックが軌道に代わる運搬手段でした。体力を使い果たした挙句の結末に、身も心もボロボロで下山しました。ところが後日の情報で、この軌道は全廃ではなく、奥にはまだ残っていることを知りました。

このリベンジはいずれ報告します。