ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第178話 1987年江ノ島 まだ江ノ電らしかった頃(その3)

1987年頃は300形全6編成が健在で大活躍していた時期です。

しかし、300形は種車が様々な雑多な車両の寄せ集めだったので、かなり老朽化した車両もあり、車両の置き換えが課題でした。

 

1.デハ302+デハ352-デハ306+デハ356 (七里ヶ浜稲村ケ崎:1987年4月)

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しかし、300形6編成を全て新車に交換するのは厳しく、江ノ電としては、車両の状態を見極めて大丈夫そうな車両は更なる更新工事を行い延命化を図る方針を立てました。 

それによると、残すのは第3,4,5編成で第1,2,6編成は廃車でした。

 

2.デハ303+デハ353-デハ502+デハ552 (七里ヶ浜稲村ケ崎:1987年4月)

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300形第1,6編成は元々移籍車だったこともあり、廃車はうなずけますが、第2編成は同時期竣工で種車も同形式である第3編成だけが残ることになったのが不可解でした。

第2編成は廃車を選択せざるを得なかったほど、傷んでいたのかも知れません。しかしながら、この江ノ電の方針で300形の全滅は免れました。 

 

3.デハ303+デハ353-デハ502+デハ552 (鎌倉高校前:1987年4月)

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第3編成はその後、延命工事を受けて残りますが、延命工事で車体更新を受け、張り上げ屋根の車体となり、外観は第4編成の様になります。 

 

4.デハ304+デハ354-デハ306+デハ356 (七里ヶ浜稲村ケ崎:1987年5月)

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この頃の写真で1枚しか撮っていなかったのが、300形の第4編成(注1)でした。

当時の写真をよく見ると、2連の後方に連結されているのが撮れていましたが、陽の向きを意識して順光側からの写真しか撮っていなかったためです。辛うじて雨天の写真が1枚ありました。第4編成は自社発注のデハ100形を1958年に連接車化したものです。種車の車体を流用しましたが、第3編成までとは違い、張り上げ屋根となり、次に出て来る第5編成のデザインのお手本になった車両でした。

(注1)300形第4編成の車歴

江ノ電デハ304←江ノ電デハ106:1931年新潟鐵工所

江ノ電デハ354←江ノ電デハ304←江ノ電デハ109:1931年新潟鐵工所

 

5.デハ305、デハ306 (極楽寺::1987年4月)

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続いて、300形第5編成 デハ305+デハ355です。

第5編成は300形で唯一車体新製車でした。この車両は、1960年に東急碑文谷工場にあった東横車輌で製造されましたが、なにやら台枠のみ京王帝都電鉄の古い木造車から流用したとのことです。

  

6.デハ305+デハ355-デハ302+デハ352 (七里ヶ浜稲村ケ崎:1987年4月)

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 300形第5編成(注2)は、先に補足した第4編成の車体デザインを踏襲して張り上げ屋根となり、側面もノーシル・ノーヘッダーのバス窓で、全金属製車体となりました。台車も東急車輛で新調したものです。

 

7.デハ305+デハ355 (極楽寺::1987年4月)

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 500形ほどではありませんが、これほどの車両なのに300形として竣工した理由がわかりません。しかし、第5編成は新しい車両なので、延命工事を受けて300形では一番長生きします。

(注2)300形第5編成の車歴

江ノ電デハ305+デハ355:1960年東横車輌製