ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第202話 1988年銚子:ぬれ煎餅じゃなく鉄道が本業?の頃(その2)

前回の第201話は、近江鉄道からやって来た車両の話題でしたが、今回はその他の車両です。

 

1.デハ801、デハ701 (仲ノ町:1988年10月)

f:id:kk-kiyo:20190525214531j:plain

 銚子電鉄は輸送力増強のため1986年にデハ801(注1)を増備しました。

デハ801は、元伊予鉄道のモハ106で、この車両は伊予鉄道郡中線の電化時に増備したクハ405が前身です。伊予鉄時代は電装化されたり、片運化されたり、再び両運化されたりしましたが、銚子では、両運車で貫通側の貫通扉を塞いで使用されました。よってこの車両も前後で顔が異なりました。

 

2.デハ801 (外川:1988年10月)

f:id:kk-kiyo:20190525214346j:plain

 また、この車両は銚子で一番大きく、輸送力があり3扉車だったので、デハ700形と共に当時の主力車でした。

外川寄りの妻面が元貫通面ですが、なんとなく間抜けな表情でした。

 

3.デハ801 (仲ノ町:1988年10月)

f:id:kk-kiyo:20190525214444j:plain

銚子寄りの妻面はオリジナルの非貫通3枚窓ですが、こちらはバランスの良い顔をしていました。

 (注1)デハ801の車歴

・銚子デハ801←伊予モハ106←クハ405:1950年帝国車輌製

 

4.デハ101 (仲ノ町:1988年10月)

f:id:kk-kiyo:20190525214641j:plain

 デハ101(注2)は、1939年製に自社発注された木造(一部半鋼製)電車のボデハ101が前身で、銚子電鉄初のボギー車でした。

もともとボデハ101は、東武鉄道鬼怒川線の前身である下野電鉄の電車デハ103を譲受し、車体更新するはずでしたが、結局車体は新製され台車のみが流用され、新製車扱いとなりました。しかし、車体は新製とは言え、戦時下の製造であったため、半鋼製にもなり切れない中途半端なもので、老朽化も早く、1952年に車体更新されて、まともな半鋼製車になりました。

 

5.デハ101 (仲ノ町:1988年10月)

f:id:kk-kiyo:20190525214704j:plain

 (注2)デハ101の車歴

・銚子デハ101←銚子ボデハ101:1939年日本鉄道自動車製

 

6.デハ101車内 (仲ノ町:1988年10月)

f:id:kk-kiyo:20190525214723j:plain

 デハ101の車内です。車両長が11mにも満たない小型車なので、路面電車の車内の様です。この頃デハ101は予備車的な存在で、多客期の3連の中間車にトレーラーとして使用される程度でしたが、現車は1999年に廃車となり、その後も2009年頃まで放置され解体されました。履いていた元下野デハ103の雨宮製板台枠台車が珍しかったため、1台車は東武鉄道が引き取り保存。もう1台車はなぜか上毛電鉄が引き取りました。