今回の上信電鉄は、日が変わって半年後の1987年11月の様子です。
この日は土曜日だったので、もしかしたら貨物が撮れるかと思い出掛けました。天気も秋晴れで絶好の撮影日和でしたが、貨物は空振りでした。
1.デハ205+クハ303 (下仁田~赤津(信):1987年11月)
貨物が走らなければ、何しに来たのか意味がありませんが、とりあえず天気がよかったので、少々撮影を続けました。この場所は今も有名な撮影地です。後方の岩山が絶景です。前回5月もここで撮影しましたが、やはりこの風景は晴れの日に限ります。
2.クハ304、クハ302他 (下仁田:1987年11月)
時期的に秋の行楽シーズンだったので、日中も2連が充当されていましたが、下仁田には珍しく200系3連が留置されていました。この3連も運用されるのかと思いましたが、よく見るといつも下仁田に居るはずの1000系がおらず、この3連は1000系の検査入場の代替だったようです。
3.デハ205+クハ303 (下仁田~赤津(信):1987年11月)
この日は、上信オリジナルの200系が多く運用されていたので、落ち着いて200系を撮影できました。本来、200系は私の趣味の範囲外の車両ですが、そろそろ吊掛車も減ってしまい、こういった初期のカルダン車に目を向けなければならなくなってきました。
4.デハ201+クハ301 (赤津(信):1987年11月)
デハ201は低運転台で、前面窓がウインクしていないタイプの200系1次車です。結構バランスの良いデザインです。
この場所は複線になっていますが、赤津信号所です。下仁田から2.7km地点で、近隣民家が数件ありましたが駅はありません。次の千平まであと1.1kmあり、この駅間は3.8kmもあります。
5.デハ201+クハ301 (赤津(信)~千平:1987年11月)
赤津信号所を過ぎると、かつて軽便時代の難所だった渓谷沿いを走ります。ちょうど紅葉が最盛期でした。このあたりには軽便時代の遺構が散見されます。
6.デハ252+デハ251 (高崎:1987年5月)
最後に、デハ250形の2態です。改めて見ると、奇妙なデザインの電車です。1000系や6000系が次元を超えた奇抜なデザインだったので、平凡な貫通タイプの250形も頑張って小細工を施されましたが、細かすぎて苦労がわかりません。しかし、注目は前面のバンパーです。貫通扉部分にも黒いバンパーが付いています。これが、幌を付ける場合は下の写真のようにバンパー中央部が分割して左右にスライドします。
7.デハ251 (高崎:1987年5月)
結構メカニカルな細工のバンパーですが、果たして意味があるのか?このバンパーは、やはり意味がなかったのか、現在は外されてしまいました。
その後の上信電鉄は、新造車の導入をやめて、西武の中古車に頼る時期に入ります。輸送需要も減り、やがて3連の1000系も2連化され、2連の一部は両運化され、生き残りのため需要に見合った態勢に変化して行きますが、吊掛車も貨物もなくなり、どうも私の志向に合わず、その後の訪問は20年以上も空いてしまいました。