推進運転の列車が行ってしまったあとは、いくら待っても列車が来ないので、桑谷連絡所の方に行ってみました。
1.桑谷連絡所全景 (桑谷:1990年5月)
桑谷連絡所は以前と少し雰囲気が変わっていました。
それは作業用の側線が河原の方へ延長されて、この一帯は工事現場の拠点になっていました。上の写真に写っている手前に延びる線路が側線です。右に曲がる線路は桑谷トンネルに入る水谷方面で、写真の奥の方が千寿ヶ原方面です。
二階建てのプレハブは飯場か現場事務所と思われ、越冬したのか頑丈な鉄骨のスノーシェッドで囲われていました。正面の窓のある平屋のプレハブは桑谷連絡所です。
しかし、誰もいません。まだ作業が再開していないのか?それともGWで現場が休みなのか?
2.桑谷側線の終端部 (桑谷:1990年5月)
桑谷の側線を辿ると、その終端部は索道の起点になっていました。
いかにも工事用の仮設索道ですが、ここから常願寺川の対岸まで資材を運ぶための索道のようです。
3.天鳥スイッチバックを下る鳶山号 (桑谷~中小屋:1990年5月)
再び河原に戻ると、しばらくして鳶山号が下って来ました。
4.天鳥橋を渡る鳶山号 (中小屋~桑谷:1990年5月)
赤い鉄橋を鳶山号が渡ります。まさに緑燃ゆる季節です。あたりは山菜の宝庫。しかしここは国立公園内です。山菜を採ってはダメです。
5.鳶山号に乗車中 (中小屋~桑谷:1990年5月)
崖崩れ現場で鳶山号が止まりました。先程の人たちは、崖崩れ現場を調査に来た人の様です。
偶然通りかかった?鳶山号に乗車するようです。しかし、このDLは単機運転で人車はつないでいません。この機関車は何人乗りなのか?
6.DL箱乗り!!(中小屋~桑谷:1990年5月)
めでたく全員乗車!!
その昔、週末になると茨城方面から来る元気な暴走族が、真夜中の環七をこんな感じで走っていたのを思い出します。北重5tDLではなく、シャコタンハコスカでしたが・・・。
7.天鳥オーバーハングの箱乗り!!(中小屋~桑谷:1990年5月)
手に汗握る臨場感が漂います。かなり無理がありますが、曲芸ではなく、これが立山流の「箱乗り」です。
茨城あたりの元気な暴走族とは違い、身を乗り出している人はいません。なぜなら岩に頭をぶつけたり、転落すると大変です。安全第一、皆さん気を付けて下さい!! そして、軌道脇の柵は、このためにあったのか?
あれから30年。コンプライアンス遵守の現在はこんな乗り方はもうしません。この頃は何でもありの、" まだ緩かった時代 " でした。