ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第358話 1991年近鉄(北勢):軽便の面影を求めて(その4)

北勢線の4連はラッシュ時限定運用かと思っていましたが、そうでもないようです。しかし、ピークを過ぎると4連では過剰な感じです。編成を見直して3連が増えてきたのはこのためなのかも知れません。

これも4連である連接車が日中も走っていたので、もう一回撮影しようと、炎天下のなか同じ場所で粘りました。

 

1.ク202+サ101+サ201+モ275  (楚原~上笠田:1991年8月)

f:id:kk-kiyo:20191002204148j:plain

 期待通り、再び連接車の登場です。こんどは眼鏡橋を入れて撮りました。

この連接車は導入後早い時期に電装解除されてしまいましたが、その後はしぶとく残り、現在も現役です。新製時は垂直カルダンというナローゲージでは画期的な駆動方式でしたがメンテがしずらく、トレーラー化されてしまった可哀そうな車両ですが、結構人気があり、昔懐かしい乗工社から模型のキットが発売されていました。

 

2.ク202+サ101+サ201+モ275  (楚原~上笠田:1991年8月)

f:id:kk-kiyo:20191002204216j:plain

ところで、垂直カルダンとは、台車枠懸架方式の駆動装置の一種で、特に軌間が狭いナローゲージの高性能化に適したものでした。他にもナローゲージだった越後交通栃尾線の車両などにも適用された例がありました。しかし、平行カルダンと違い主電動機を縦に配置するため、構造的に整流ブラシの交換や電機子の点検清掃がし辛く、現場泣かせであったことから普及せず、越後交通では従来の吊掛方式に戻してしまい、北勢線では電動車をやめてしまいました。その後も、ナローゲージという壊滅的な市場には新たな方式は登場せず、現在も吊掛車に変わりありません。

 

3.ク202+サ101+サ201+モ275  (楚原~上笠田:1991年8月)

f:id:kk-kiyo:20191002204240j:plain

 真横から見ると右の3両は、3車体連接車であることがよくわかります。この3連接車は無動力なので、左端のモ275が孤軍奮闘しているわけですが、モ270形はかなりのパワーを備えた車両です。

 

4.ク172+モ272+サ146+ク142  (楚原~上笠田:1991年8月)

f:id:kk-kiyo:20191002204310j:plain

 旧塗装車がやって来ました。塗装変更の過渡期だったので、この様な新旧塗装の混在が見られましたが、統一感の無さが軽便らしいです。

後方には石灰石を採掘している藤原岳が霞んで見えます。この山の麓には、いずれ北勢線が身売りされる三岐鉄道が走っています。

 

5.ク172+モ272+サ146+ク142  (楚原~上笠田:1991年8月)

f:id:kk-kiyo:20191002204335j:plain

 旧塗装車も眼鏡橋で撮影し、これで一通り撮影が終わりました。この後は、員弁川の川向うの三岐鉄道まで歩きました。

ところで、220系のその後の動向が非常に気になりました。この年の秋にも北勢線を訪問しましたが、その時の様子は別途報告します。