ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第432話 1987年筑波:終焉の時(その4)

この日の最後は、真鍋に寄りました。

真鍋ではいつものように、給油入庫の列車交換のための連結作業が行われていました。

 

1.キハ504+キハ503 (真鍋:1987年3月)

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 キハ500形2連が運転停車し、これから給油を完了した回送車を連結します。特徴ある筑波鉄道の車両入換もこれで見納めです。

 

 

2.キハ821+キハ301+キハ504+キハ503 (真鍋:1987年3月)

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連結されたのは、キハ301+キハ821の元国鉄コンビでした。 回送車を連結して、ここから土浦まで堂々の4連となります。

 

3.キハ821 (真鍋:1987年3月)

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 キハ821は、せっかく国鉄から廃車解体を免れて来たのに、今度は年貢の納め時となりました。当時茨城交通にいた同型の仲間達とは、明暗がはっきりしました。

 

4.キハ821+キハ301+キハ504+キハ503 (真鍋~土浦:1987年3月)

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最後は、真鍋から土浦まで歩き、最後にして初めて4連の走行を撮影しました。

 4連は土浦で折り返して、今度は真鍋で給油入庫となる回送車のキハ500形2連を切り離します。よって、この区間だけの4連です。

 

5.キハ762 (土浦:1987年3月)

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最後の撮影は、土浦駅に停車中の元雄別コンビでした。菱枠型台車を履いた国鉄キハ21形モドキのこの車両もこれで見納めです。

 

6.キハ763 (土浦:1987年3月)

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  この日はまだ日没まで時間がありましたが、昨晩は未明まで飲んでいたので、疲れてしまい、もうこれでもかと言うほど撮影もしましたので、これで撤収です。

そして、学生時代の最後の悪あがきもこれで終わりました。この三日後に筑波鉄道は開通から69年の歴史に幕を閉じ、私は社会人となりましたが、その後も気動車を追い続けます。