ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第297話 1987年筑波:最後の日々(その6)

この撮影では、できるだけ多くの場所で撮影を行いましたが、改めて写真を見ると、どの写真も同じような風景に見えます。それだけ沿線風景に変化がないと言うことです。

 

1.キハ504 (雨引~岩瀬:1987年3月)

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 筑波鉄道北辺の雨引~岩瀬間の写真です。この駅間は4.5kmもあり、とても撮影のために歩く気がしませんでしたが、この日は車だったのでなんてことありませんでした。

 

2.キハ504 (岩瀬~雨引:1987年3月)

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 そして、振り向くと筑波山です。筑波山がよいアクセントになります。やはり筑波山あっての筑波鉄道でした。

 

3.キハ821 (常陸小田~常陸北条:1987年3月)

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 筑波以北の撮影も飽きてしまい、気が付けばいつもの場所に戻ってしまいました。

 

4.キハ821 (常陸北条:1987年3月)

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 常陸北条は貨物側線もある大きな駅でした。

キハ821が写っていますが、なんだか往年の国鉄ローカル線そのものです。

 

5.キハ821 (上大島:1987年3月)

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この日はキハ821とよく遭遇しました。これが国鉄だったらキハ10形の写真など撮るはずありませんが、筑波のキハ821は塗装のせいか私鉄っぽさがあり、抵抗なく撮影できました。

茨城交通にも同型のキハ11形が3両いましたが、やはりこの車両に白装束は似合いません。

こちらの車両は、とても落ち着いて見えました。 

 

6.キハ504 (常陸小田~常陸北条:1987年3月)

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筑波鉄道が廃止になってもキハ500形はどこかで生き延びるだろうと思っていました。

廃止後は一旦常総線に引き取られましたが、再起しませんでした。やはり常総線では18mの2扉車は歓迎されなかったようです。しかし、常総線はダメでも鹿島鉄道あたりは、どうだったのでしょうか?湘南型気動車も結構老朽化していましたし、元国鉄の機械式気動車だったキハ600形などは、調子がよかったとは言え、戦前生まれの車両でしたが・・・・。

 

7.キハ503 (筑波~常陸北条:1987年3月)

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 この時の撮影では、まださよならムードはなく、野次馬もまったくいませんでした。それだけに、本当に廃止になってしまうのか?と言った感じでしたが、落ち着いて日常的な最後の撮影ができたものと思います。