ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第296話 1987年筑波:最後の日々(その5)

今回の常磐線沿線ローカル私鉄早回りは、3日間かけて行いました。

そのうち、筑波鉄道には初日と3日目の訪問となりました。初日は天気がスッキリしませんでしたが、3日目は何とか晴れました。

 

1.キハ821+キハ301 (東飯田~樺穂:1987年3月)

f:id:kk-kiyo:20190810121251j:plain

 2日目は日立電鉄茨城交通鹿島鉄道をまわり、その晩は真壁の古風な旅館に泊まりました。そして3日目は早朝から筑波~岩瀬間を中心に撮影を行いました。

 

2.キハ301+キハ821 (樺穂~東飯田:1987年3月)

f:id:kk-kiyo:20190810121315j:plain

 この日は、キハ301(注1)とキハ821(注2)がコンビを組んでいました。どちらの車両も元国鉄出身で、キハ821は1974年に国鉄を廃車になり転入してきました。キハ301は1986年7月に転入してきたばかりです。

 

3.キハ301+キハ821 (雨引~岩瀬:1987年3月)

f:id:kk-kiyo:20190810121358j:plain

 もしかして、国鉄時代にもこんな編成があったのかも知れませんが、まさか天下り先でコンビを組むとは、この2両はかなりの腐れ縁です。

(注1)キハ301の車歴

・筑波キハ301←国鉄キハ3016:1964年日本車輌

(注2)キハ821の車歴
・筑波キハ821←国鉄キハ1047:1956年帝国車輌製

 

4.キハ761 (常陸桃山~紫尾:1987年3月)

f:id:kk-kiyo:20190810121436j:plain

 この日は、いままでほとんど撮影したことがなかった筑波以北で撮影を行いました。

筑波以北も、延々と田園地帯が続いていましたが、この時期の沿線風景は見渡す限り荒野の様でした。キハ761は釧路の雄別鉄道からやって来た車両です。雄別時代は広大な釧路湿原を走っていた車両ですが、釧路でもこんな感じだったのでしょうか?

 

5.キハ761 (常陸桃山~紫尾:1987年3月)

f:id:kk-kiyo:20190810121510j:plain

 この日も元雄別の車両は元気に走っていました。

沿線には我々以外に筑波鉄道の撮影する人もおらず、平静そのものでした。本当に半月後に廃止になるとは思えませんでした。

 

6.キハ761 (紫尾~常陸桃山:1987年3月)

f:id:kk-kiyo:20190810121534j:plain

 この一画は、他の場所とは少し雰囲気が異なり、畑の中に小高い丘がありました。ここは古墳があったところです。

 

7.キハ504 (筑波~上大島:1987年3月)

f:id:kk-kiyo:20190810121606j:plain

筑波鉄道の西側は山ひとつ見えない関東平野です。筑波鉄道関東鉄道常総線のように、常磐線水戸線を結ぶ南北の路線は古くから存在していましたが、なぜか東西を短絡する路線は、つくばエクスプレスが開通するまで存在せず、筑波鉄道がなくなったあとは、真壁あたりから都心に出向くには高速バスが主流になっていました。私も仕事の関係で筑波学園都市へ何度か出張しましたが、いつも高速バスでした。