ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第694話 1993年日立:電車の整理整頓!!

1993年3月、日立電鉄の訪問は2年ぶりでした。2年前は日立電鉄の車両がいよいよ置き換えとなる噂を聞いて、あわてて撮影に出向きましたが、その後は一斉置き換えではなく、パラパラと置き換えが進んだため、つい油断してしまい、気が付けば2年が経っていました。

 

1.モハ14 (大甕:1993年3月)

f:id:kk-kiyo:20201123142656j:plain

 しかし、2年も経つと車両の置き換えはかなり進んでおり、旧型車の出る幕もかなり減っていました。ご存知の通り日立電鉄には営団地下鉄から銀座線の2000系が導入されました。1991年から、まずは2連の2000形(モハ)+2200形(クハ)が導入され、1993年時点で元小田急創業時のモハ1形を前身とするモハ1000形や、雑多車両の寄せ集めだったクハ2500などが淘汰されました。ところが、単行のワンマン車であるモハ9形,11形,13形と元静岡鉄道の2連は健在でした。

 

2.モハ14 (大甕:1993年3月)

f:id:kk-kiyo:20201123142716j:plain

1993年3月時点で、元営団2000形転入車は 片運モハの2000形が5両、片運クハの2200形が4両、両運モハの3000形が1両でした。一応Mc+TcにMcを増結する運用が基本となり、ようやく電車の整理整頓が図られました。あとは、両運車である3000形が増えれば、モハ9形,11形,13形が危うくなります。

 

3.モハ14 (大甕:1993年3月)

f:id:kk-kiyo:20201123142740j:plain

 今回は、旧型両運車のモハ13形の写真を集めてみました。

 モハ13形は元相模鉄道(JR相模線の前身)が導入した電気式気動車の成れの果てです。車歴については、第87話でご紹介しましたが、この車両がなくなればもう日立電鉄に出向くことはないと思っていました。しかし、意外にも旧型車では最も遅くまで残り、モハ14はモハ10と共に1997年4月まで生き延びました。

 

4.モハ14 (大甕:1993年3月)

f:id:kk-kiyo:20201123142809j:plain

 この車両は元電気式気動車という特異な生い立ちの車両でした。そのスタイルも特異な流線形で気動車史に残る存在ですが、日立電鉄に転じてから、ある種の改造車美学によってご覧の食パンになってしまい、このスタイルではかつての栄誉もあったものではありません。

 

5.モハ16 (常北太田~小沢:1993年3月)

f:id:kk-kiyo:20201123142921j:plain

 続いて本線撮影です。この日はモハ16が運用されていました。このモハ16もモハ14同様に常北太田寄りの妻面が貫通となっていました。

 

6.モハ16 (常北太田~小沢:1993年3月)

f:id:kk-kiyo:20201123142537j:plain

 この車両を真横から見ると、中間車が単独で走っている様で、なんとも滑稽です。モハ13形は車両長13.5mの路面電車並みの大きさでしたが、営団からやって来た3000形は16m車です。車両は大きくなりましたが、乗客はガラガラです。