ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第825話 1993年日立:旧型車の動向を追う

当ブログでは1993年3月の日立電鉄の様子を、第694話 ~第698話でお伝えしましたが、その時は元営団2000系の導入によって、ほとんどの雑多な2連用車両が淘汰されていました。そして、両運化された3000形も登場していたことから、雑多な両運車の置き換えも時間の問題でした。

 

1.モハ9、モハ15 (鮎川:1993年4月)

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 そんなわけで、旧型車の動向が気になり、1ヵ月後の1993年4月にも日立電鉄へ出向きました。今回は、その時の様子をお伝えします。

 

2.モハ9 (常北太田:1993年4月)

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 まずは在籍車の確認です。ここは常北太田です。大甕から常北太田まで乗ったのはモハ9でした。日中の日立電鉄は単行列車しか走っていませんので、両運車は4~5両もあれば十分なところですが、この時点で旧型の両運車は8両も在籍しており、加えて新車のモハ3021が在籍していました。両運車はラッシュ時には走らないので、かなり過剰な両数と思えます。まさか旧型車8両も全てモハ3000形に置き換えるとは思えませんが、恐らく年内には旧型車はなくなってしまうと勝手に思っていました。

 

3.モハ9 (常北太田:1993年4月)

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モハ9は車両長14mのかわいい電車です。毎度のことながら両面の撮影です。こちら側は、幌付き貫通タイプのいかつい顔をしていましたが、この貫通幌は使われていたのか?

 

4.モハ10 (大甕:1993年4月)

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 そして、モハ9の相棒であるモハ10は大甕で捕まえました。こちらには貫通幌はついていません。モハ10は、モハ9と同じ生まれの双子車両ですが、モハ10の方はなんとなく古く見えます。原因はモハ10のウインド・ヘッダーです。モハ9の方は、車体更新時にノーシル、ノーヘッダー化されましたが、モハ10はそうならず、なんとも中途半端です。これも改造車の美学なのか?

 

5.モハ11 (常北太田:1993年4月)

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 もう1本、走っていたのはモハ11でした。この車両はご存知の、営団から横取りされたと言う車両です。この車両は元々両面貫通の様ですが、実態は非貫通として使用されていたようで、1963年にモハ11とモハ12が向き合う連結側のみ貫通路を新設(復活?)しました。しかし、整形に失敗して北陸鉄道の旧型車と張り合う顔になってしまいました。

 

6.モハ11 (常北太田:1993年4月)

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 モハ11も両面撮影です。こちら側は元々の貫通扉?を埋めた顔です。オリジナルは大変清楚な顔をしていましたが、この顔もチョット・・・・。