ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第729話 1993年西鉄(北九州):微妙な共存(その4)

続いて西鉄北九州線残存区間の様子ですが、今回は筑豊電鉄の分岐点です。この場所は熊西から折尾方面に少し行ったところですが、電停はなく、突然線路が2方向に分かれていました。

 

1.622、621 (熊西~皇后崎:1993年11月)

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 この写真は、分岐点から北九州線の折尾方面を撮影したものです。手前を横切る線路の左方向が筑豊電鉄の直方方面です。この区間は専用軌道ですが、コンクリート製架線柱やシンプルカテナリーなど、やはり大手私鉄の一員であることがわかります。

 

2.625 (熊西~皇后崎:1993年11月)

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 この写真では右方向が北九州線です。この分岐点を見ていると、北九州線の方が分岐している様に見えてしまいます。やがて2000年には、北九州線が廃止されて、右方向へ延びる線路はなくなります。

 

3.625 (熊西~皇后崎:1993年11月)

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 まるで北九州線の電車が筑豊電鉄に乗り入れて来るようです。それにしても、折尾方面からやって来る電車は後方が透けて見えるほどガラガラです。それでも、あと7年程はこの様な状況が続きました。

 

4.622 (熊西~皇后崎:1993年11月)

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 筑豊電鉄の起点は熊西となっています。しかし、熊西からこの分岐点までは、わずかですが北九州線の路線です。北九州線と筑豊電鉄の厳密な境界はどこなのか良くわかりません。

 

5.632 (熊西~皇后崎:1993年11月)

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 かつて北九州線は、折尾から門司まで29.4kmにも及ぶ路線を1時間半も掛けて運行されていました。並行する鹿児島本線の電車なら30分程の所要なので、まさか北九州線で折尾~門司間を乗車する人はいなかったでしょうが、超ロングランな路面電車の晩年は哀れなほど切り詰められていました。

 

6.619 (楠橋:1993年11月)

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 ここは筑豊電鉄の楠橋車庫です。なぜここに北九州線の車両がいるのか?実は北九州線の車両は列車検査のためにここまで回送されるとのことでした。

この頃の北九州線と筑豊電鉄の関係は、端で見ていると、「微妙な共存」でした。やがて北九州線は廃止となり、西鉄にとって黒崎駅前~熊西間は、筑豊電鉄に「軒先貸して母屋を取られる」ことになるのかと思いましたが、どっこい、手放しませんでした。結局、黒崎駅前~熊西間の路線は西鉄が引き続き第3種事業者として保有し、筑豊電鉄は第2種事業者として運行することになり、北九州線亡き後も、目に見えない「微妙な共存」は続いています。