第726話~第729話では、路面区間廃止後の西鉄北九州線の1993年時点の様子をお伝えしましたが、その際に北九州線に乗り入れて来る筑豊電鉄の車両についても若干画像をアップしておりました。その際は筑豊電鉄についてはほとんど触れていませんでしたが、今回は、その時の筑豊電鉄線内の様子をお伝えします。
1.2005A+C+B (直方~感田:1993年11月)
西鉄北九州線のブログでも触れましたが、筑豊電鉄は西鉄の子会社であり、開業時は独自の車両を保有せず、西鉄北九州線の路面電車によって運行されていました。その後は西鉄福岡市内線や北九線の中古車を購入して徐々に自前の電車で運行されるようになりましたが、はたから見ていると西鉄北九州線とは一心同体の様な存在に思えました。
2.2005A+C+B (直方~感田:1993年11月)
しかし、筑豊電鉄は全線が専用軌道でありイメージとしては広電宮島線のような雰囲気です。ただし、西鉄北九州線の路面区間が廃止されたことから無理にLRTにこだわる必要もなくなり、現在においては、西鉄北九州線自体が黒崎駅前~熊西までの線路を残して撤退してしまったので、筑豊電鉄は実質単独の普通鉄道になりました。
3.2002A+C+B (楠橋~香月:1993年11月)
ところが、筑豊電鉄の車両は純粋な路面電車規格を現在も踏襲し続けており、最近は譲受する車両も底を尽きたためか、高額のLRV導入に踏み切りました。
4.2003A+C+B (楠橋~香月:1993年11月)
今回は、まだ西鉄北九州線が辛うじて黒崎駅前~折尾間の専用軌道線区間のみを残存していた頃ですが、路面区間の廃止で余剰となった2連接車の1000形は大量に筑豊電鉄に譲渡されたため、筑豊電鉄は相変わらず西鉄の路線の様でした。
5.3002B+A (楠橋~香月:1993年11月)
この頃の筑豊電鉄車両は、3連接車と2連接車が存在し、いずれも元西鉄福岡市内線または西鉄北九州線から譲受した中古車でした。しかしながら、筑豊電鉄もそろそろ西鉄体質から脱却したいという思いがあったのか、古い2連接タイプの2100形の臓物を流用して車体新製した3000形という悲願のオリジナル車を導入して生まれ変わりつつある時期でした。
6.3002A+B (楠橋~香月:1993年11月)
3000形(注1)は、2連接車の2100形から台車や機器を流用して、1988年~1989年までに5編成導入された新車です。輸送需要を見据えた結果なのか、3000形は3連接車にはせず2連接車でした。製造は初参入のアルナ工機なので、見た目は当時流行の軽快電車風の冷房車です。黙っていれば完全な新車の様に見えますが吊掛車です。
7.3003B+A (直方~感田:1993年11月)
注1)3000形の車歴
・筑豊3001A+B~3004A+B:1988年アルナ工機製
この3000形は新車名義ですが、2118A+B~2114A+Bの機器流用です。その後1995年~1996年には、2110A+B~2113A+Bの機器流用で3006A+B~3009A+Bが増備されました。