ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第905話 1993年筑豊:元西鉄連接車が主役の頃(その2)

この日は1日かけて筑豊電鉄西鉄北九州線の撮影を行いましたが、実はここまで来た目的は別にありました。それは直方にある直方石炭博物館に保存されている、鯰田炭鉱の凸型電機を撮影するためでした。

 

1.3004B+A (直方~感田:1993年11月)

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 直方石炭博物館には1988年にも行った事がありました。その日はもう夕方で閉館後だったので、外に展示されていた凸型電機の撮影はできましたが博物館には入れなかったからです。よって、この日は午前中に西鉄北九州線を撮ったあと直方に向かいました。

 

2.3004B+A (直方~感田:1993年11月)

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 直方石炭博物館については、別途お伝えしますが、博物館の見学後は天気が良かったので、直方~感田間にある長大な遠賀川橋梁で筑豊電鉄の撮影を行いました。そして、その後は筑豊電鉄の楠橋車庫を訪問して、その付近で沿線撮影を続けました。

 

3.3003B+A (直方~感田:1993年11月)

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 遠賀川橋梁は複線の上路ガーダーで、橋脚もしっかりしており、小さな路面電車タイプの電車にはもったいないくらい立派でした。

 

4.2105A+C+B (直方~感田:1993年11月)

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 直方はこの鉄橋の手前側ですが、鉄橋を越えたらすぐに終点です。筑豊電鉄は、当初の計画では福岡までの延伸を目論んでいました。もしかすると、遠賀川橋梁は普通鉄道規格で造られたのかも知れません。しかし、福岡延伸の計画はすでに消滅しています。

 

5.2107A+C+B (直方~感田:1993年11月)

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 せっかくこんなに立派な鉄橋を造ったのに、もう少し先まで延ばしてもよさそうですが、直方にはJR筑豊本線も走っており、福岡方面へは直行バスも出ているので延伸の必要性もなさそうです。もっとも福岡方面への輸送需要が高ければ、近くを通る山陽新幹線に駅ができているはずです。

 

5.3003B+A (楠橋~香月:1993年11月)

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遠賀川鉄橋ではもう十分なほど撮影しましたので、次は車庫のある楠橋へ移動です。楠橋はかつて国鉄香月線と交差していた近くですが、わかりやすく言うと山陽新幹線との交差近くでもあります。

 

6.3004B+A (楠橋~香月:1993年11月)

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 この一帯は、その昔香月炭鉱があった付近ですが、楠橋車庫は周りに何もない田圃のど真ん中でした。 小倉付近に比べて、おそらく土地が安かったのでしょう。しかし、この辺りも宅地化は徐々に進行しており、北九州市ベッドタウンになっている様でした。

 

7.3002B+A (楠橋~香月:1993年11月)

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筑豊電鉄は 川向うを並行する非電化のJR筑豊本線にくらべれば、ずいぶん垢ぬけた路線のように思えました。私の様なよそ者には、この一帯に炭鉱があったとは想像がつきません。