ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第747話 1992年小湊:不変道徳の世界(その4)

小湊鉄道は、上総牛久までは列車本数が多く、沿線も宅地化されていました。しかし、五井~上総牛久間はあまり良い撮影ポイントはないようで、やはり撮影目的なら上総鶴舞よりも山側をお薦めします。ただし、列車本数は非常に少ないので、予め撮影ポイントを絞って出向いた方が良いです。

 

1.200形2連 (上総川間~上総鶴舞:1992年12月)

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 上総鶴舞から上総牛久方面は平野部となり、田園地帯を坦々と走ります。当時この辺りは、まだ宅地化が進んでいませんでしたが、現在はどうでしょうか?

 

2.200形2連 (上総牛久~上総川間:1992年12月)

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 恐らく、JR久留里線も同じような風景なのでしょうが、この頃の久留里線は、キハ30形、キハ20形の天下でしたので、一度も訪れていません。

 

3.200形2連 (上総川間:1992年12月)

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 上総川間は何もないところにポツンと無人駅がありました。ここから上総牛久方面は同じような雰囲気なので、ここで撤収です。

この日の撮影列車は、始終2連でした。この頃はまだ2連が走る程の輸送需要があったようです。

 

4.200形 (五井:1992年12月)

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 この日の夕方、帰り際に再度五井機関区に出向きました。朝とは陽の向きが変わり、改めて「お宝」を撮影するためでした。

 

5.貨車群 (五井:1992年12月)

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 機関区内には、古そうな木造貨車が何両か留置されていました。しかし、これらは現役車両ではなく、一部は車籍こそありましたが、倉庫として活用されていました。写真に写る一番左の車両は車籍があったワフ1のようです。1924年東洋車輌製の有蓋緩急車です。

 

6.B104保存車 (五井:1992年12月)

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 機関区の玄関側には、SL(1号機、2号機、B104)が3両保存されていました。一応、屋根付きの展示場となっていますが、粗大ごみ置き場と化していました。そして目の前が従業員の駐車場なので、まともに写真が撮れません。この時は、なんとかB104のみ撮影できました。しかし、これだけの車両を保存しているローカル私鉄は他にはありません。

 

7.キハ5800 (五井:1992年12月)

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最後は「お宝」のキハ5800(注1)です。相棒だったキハ5801は共に運用離脱となった1970年に廃車され、以来キハ5800だけが車籍を有するものの寝たきり老人となり、すでに20年以上が経過していました。この車両は1960年に気動車化されて小湊に来ました。その頃の小湊は得体の知れない怪しい気動車がいっぱいいましたが、このキハ5800はその怪しい気動車シリーズの最終グループでした。一応、キハ200形に統一された後も予備車として残りましたが、DMH17を搭載しているにもかかわらず総括制御ができないため、出る幕が全くありませんでした。

 (注1)キハ5800の車歴

・小湊キハ5800←国鉄クハ5800←三信デ301←国鉄モニ3009←国鉄デニ6458←国鉄デハニ6465:1914年日本車輌

結局、この車両は1997年に除籍されましたが、2019年に市原市の指定文化財となり、現在もこの庫に居座っているそうです。