ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1106話 1993年小湊:どうにも変わらぬ面々!(その3)

小湊鉄道の続きです。この日は上総鶴舞付近で走行列車の撮影を行いましたが、梅雨時で天気もはっきりせず、だんだん蒸し暑くなってきたので、撮影場所の移動はやめて、もう少しこのあたりで撮影を続けることにしました。

 

1.キハ200形2連 (上総鶴舞:1993年6月)

小湊鉄道は、上総牛久を境に極端に輸送需要が減り、列車本数も半減します。このため、撮影のロケーションは申し分ありませんが、撮影効率はとても悪いです。上総鶴舞も列車本数の少ない区間なので、列車を待つ時間がなんとも面倒でした。

 

2.キハ200形2連 (上総鶴舞:1993年6月)

駅が近いと、列車を待つ間は、駅の待合室で休憩できるので好都合です。よって、上総鶴舞の周辺撮影となりました。しかし、同じ列車ばかりなので、だんだん面倒くさくなってきました。気が付けば、駅のホームからズボラなズーム撮影です。

 

3.キハ200形2連 (上総鶴舞:1993年6月)

ところで、小湊鉄道は千葉あたりの通勤圏内にあるはずです。起点の五井付近もそれほど田舎ではありませんが、どうしてこれほどまでにローカルなのか?

 

4.キハ200形2連 (上総鶴舞:1993年6月)

しかしこの頃の小湊鉄道には、まだ将来的に期待がありました。それは千葉急行の延伸です。計画では、当時「ちはら台」まで開業していた千葉急行が、いずれ小湊鉄道の海士有木まで延伸されるはずでした。もともと、この延伸区間千葉急行区間も含めて小湊鉄道が路線の免許を取得していましたが、この免許を第三セクター千葉急行が引き継ぐかたちで譲受したものです。しかし、バブルの崩壊で千葉急行は破綻してしまい、とりあえず開業路線は京成電鉄が引き継ぎましたが、海士有木への延伸計画など、どこかに吹っ飛んでしまいました。

 

5.キハ200形2連 (上総鶴舞:1993年6月)

まあ、千葉急行が海士有木まで延伸されたとして、小湊鉄道に何らかのメリットがあったのかどうかは、何とも判断しかねます。

しかしながら、もう30年も経ち、社会情勢も変わってしまった様です。自動車社会に加えて、少子化や過疎化が進み、多くのローカル線が喘いでいる現在、小湊鉄道も全く同じです。トロッコ列車の導入など、観光志向に転じて路線の存続を図っているようですが、上総牛久から先はかなり厳しい状況の様です。

 

6.キハ200形2連 (上総鶴舞:1993年6月)

この撮影からもう30年が経ちましたが、その後は小湊鉄道の撮影には出向いていません。でも、この30年間の小湊鉄道は不変な時代でした。しかしここ数年は、ようやく製造から60年にしてキハ200形の引退が始まりました。すでにJRからキハ40形が導入されていますが、この先はどうなることか?そろそろJRのキハ100形あたりが導入されるのかも・・・。