ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第813話 1988年新日鉄釜石:「奥の細道」の奥

1988年の盆休みに岩手開発鉄道に出向きました。

その時の様子は、第251話~第255話でお伝えした通り、当時の岩手開発鉄道はまだ旅客営業も行っていましたが、1日にたった5往復しか走っておらず、その5往復の列車撮影のためだけに、わざわざ遠い三陸まで行くことに抵抗がありました。しかし、岩手開発鉄道には24時間体制で20往復以上走る石灰石輸送列車がありました。よって、この石灰石輸送列車の撮影も兼ね、重い腰を上げて盛へ向かいました。

ところが、盛に到着して知らされたのが、石灰石輸送列車の運休でした。その日は石灰石輸送も盆休みでした。これにはショックでしたが、岩手開発の旅客列車に乗った後は、予定を変更して釜石へ向かいました。

 

1.三陸鉄道キハ36形 (盛:1988年8月)

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 ところで、盛から釜石へは、三陸鉄道で50分ほどです。この三陸鉄道がなかった頃は、国鉄盛線が途中の吉浜までしか開通しておらず、頼りのバスは80分もかかり本数も少なく不便極まりなかったはずです。今や三陸鉄道は重要な三陸の交通手段として根付いていますが、だからこそ度重なる災害にも負けず頑張っているのだと思います。

 

2.新日鉄釜石製鉄所構内? (新日鉄釜石製鉄所:1988年8月)

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 この日、釜石へ向かった理由ですが、釜石には新日鉄釜石製鉄所があり、そこには製鉄所の構内を走るナローゲージ専用線があり、製鉄所の外にも軌道が延びているとの情報があったからです。しかし、それは不確かな情報であり、この時は急な予定変更だったので、事前調査もせず突然向かったので、どうなるかさっぱり見当も付きませんでした。

さて、釜石に到着して右も左もわからず、しかも雨。どこへ行けば良いのか、野生の感覚で歩くと、なにやら線路が・・・。レールは太く立派な軌道ですが、軌間はどう見てもナローです。そのまま線路に沿って行くと、そこは公道なのか製鉄所の敷地なのか、よくわからないエリアに入り込んでしまい、はて、どうするかキョロキョロ見渡すと、更なる前方に機関車を発見!

 

3.DC305 (新日鉄釜石製鉄所:1988年8月)

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 ここも盆休みなのか人影は見当たらず、撮影許可もどうすれば良いのか?とりあえず、立入禁止の標識はなさそうなので、勝手ながら撮影をさせて頂きました。

 

4.DC305 (新日鉄釜石製鉄所:1988年8月)

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 この機関車は、協三工業製のDC305でした。この他に機関車は見当たらず、ここは機関庫ではない様でした。線路はまだ先の方に延びていましたが、ここから先は自制心が働き、やはり許可がないと行けません。

 

5.DC305 (新日鉄釜石製鉄所:1988年8月)

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 この時は、いずれまた来る機会もあるだろうと思い、「奥の細道」の奥は、次回のお楽しみとして、ここで引き返すことにしました。

その後、この専用線を調べました。しかし、製鉄所内の専用鉄道であるため、資料がほとんどなく、いまだに在籍車両や路線の詳細はよくわからないままです。しかし、新日鉄釜石製鉄所の専用線は、このナローゲージの他にも、JRとの連絡線や製鉄所と釜石港や平田方面の埋め立て地を結ぶ本格的な1067㎜軌間の路線もある、かなり大規模な専用線であることがわかりました。

 

6.新日鉄釜石専用線周辺地形図(引用:国土地理院1/25000地形図「釜石」昭和60年発行)

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 ちなみに、当時の在籍機関車は色んな文献を総括すると以下の通りですが、信憑性は定かではありません。

<1988年当時の在籍機関車>

①構外専用線(1067㎜軌間

新日鉄釜石DD451:1965年日立製作所

・日通釜石DD452:1965年日立製作所

いずれの機関車も日立標準のロッド式凸型45t機で、国鉄との貨物受渡し用ですが、DD452の方は日通の所有車で、連絡線廃止後は郡山の保土谷化学に譲渡されたそうです。

②構内専用線(762㎜軌間、1067㎜軌間

新日鉄釜石DC301~305:製造年不明 協三工業製(ロッド式L型30t機:762㎜軌間

新日鉄釜石DC208:1959年協三工業製(ロッド式L型20t機:762㎜軌間

新日鉄釜石DC211~213:製造年不明 協三工業製(ロッド式L型20t機:762㎜軌間→1067㎜軌間

新日鉄釜石DD351:製造年不明 協三工業製(箱型35t機無線操縦車:1067㎜軌間

新日鉄釜石DD501,502:1975年協三工業製(箱型50t機無線操縦車:1067㎜軌間

新日鉄釜石DD503:1977年協三工業製(箱型50t機無線操縦車:1067㎜軌間

構内専用線ナローゲージは、1965年に廃止となった富士製鉄時代の釜石専用鉄道の名残りの様でした。しかし、構内専用線は実態が全くわかりませんが、軌間は762㎜と1067㎜が混在しており、DC200形は762㎜から1067㎜へ改軌された機関車があった様です。車号だけ見ると、DC200形は13両導入されたようですが、この時点では整理されてDD350形やDD500形などの大型機に集約されたものと思われます。

 

7.DC305 (新日鉄釜石製鉄所:1988年8月)

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新日鉄釜石製鉄所は、この翌年の1989年3月に高炉を休止し、実質閉鎖されました。その後は複合事業に転換され、会社は現在も存在しますが、東日本大震災に被災して壊滅的な打撃を受けました。

今回の突然の訪問以降、 結局この後は再訪問する機会はなく、これが最初で最後となってしまいました。