ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1169話 1994年野上:撮影禁止令布告(その2)

早朝から下佐々周辺で撮影していたので、少し休憩をとるため撮影の合間に、終点の登山口へ行ってみました。

 

1.登山口駅 (登山口:1994年2月)

登山口は閑散としていました。この駅は、ここから紀伊山地の山間へ向かうバスの中継地ですが、電車が廃止されたらバスは海南へ直通するのか?しかし、この頃は道路が狭く、小型のバスしか通れない状況でした。

 

2.クハ101+クハ102 (登山口:1994年2月)

登山口の引き上げ線には、相変わらずクハが2両留置されていました。この2両は、朝の3連がなくなり余剰となったものの、まだ廃車ではありませんでした。もう十分に朽ちていますが、このまま終焉です。

 

3.モハ27 (登山口~下佐々:1994年2月)

再び下佐々に戻り撮影の続きです。こんどは本日初登場のモハ27ですが、2連ではなくまた単行です。この日は土曜日でしたが、乗客がいないので、やはり2連の本数を減らした様です。

 

4.モハ27 (登山口~下佐々:1994年2月)

まだラッシュ時間帯ですが、もう2連は来ない様でした。先程から、単行が3列車確認されましたが、このモハ27とデ11,デ13です。このうち、2両がラッシュ後の運用に残りますが、さあどれなのか?

 

5.デ11 (登山口~下佐々:1994年2月)

富山育ちのデ10形は、野上電車の中ではまだ若い1951年製でした。しかし、もう転職先はなく、保存の引き取り手もなさそうでした。同系車が34両も製造された電車でしたが、最後は加越能鉄道万葉線)に残ったデ5022だけとなってしまいました。

 

6.デ11 (下佐々:1994年2月)

下佐々を去るデ11です。こんな日常光景もあと1か月少々でした。

 

7.デ13 (竜光寺前~動木:1994年2月)

動木の切通しを行くデ13です。この辺はまともな道路も作れないほどの山峡の地形なので、鉄道用地もこのように削って作られました。野上電車がなくなると、小型バスしか交通手段がなくなりますが、道路事情も悪く、小型バスでは混み、時間通りに走れるのか、とても不便になりそうです。