ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

号外2024.09.16:新興を歩く(その2)

新興支線の廃線跡探訪は、入江駅跡に続き恵比須運河を渡って恵比須町の工場地帯に踏み込みます。しかし、廃線跡は恵比須運河を渡るとレゾナック(旧昭和電工)横浜工場の敷地内を通るため、現状を確認することができません。ネットの航空写真などを見ると敷地内の廃線跡は、レールは撤去されているものの軌道敷はそのままになっている様で雑草が生い茂っています。

 

地図1.新興支線廃線跡撮影地点 (引用:国土地理院1/2500地形図 GSI Maps)

今回は地図1の⑧~⑭の状況をお伝えします。

 

地図2.新興支線恵比須町付近(引用:国土地理院1/10000地形図「新子安」昭和60年発行)

まずは地図2の、昭和60年頃のこの付近の地図をご覧ください。新興支線から分岐する引込線が数多く存在していましたが、これらの引込線も新興支線と運命を共にしました。現在は残念ながらこれらの引込線の廃線跡は跡形もありません。

 

写真⑧

写真⑧は恵比須運河に架かる恵比寿橋から、新興支線の旧橋梁を撮影したのもですが、この橋梁が廃線跡に残る最大の遺構です。この写真の右側がレゾナックの工場です。

 

写真⑨

写真⑨は写真⑧の橋梁部分のクローズアップです。今でも列車が走っていそうな雰囲気です。この様な使用されない橋梁は無用の長物ですが、撤去するのも大変な様です。この周辺は再開発の兆しは見えませんが、再開発や防災事業が始まれば、跡形もなく撤去されてしまいます。しかしながら、新興支線が現役の頃に、この橋梁を走る列車を見たかったです。

 

写真⑩

さて、レゾナックの工場内の廃線跡は見ることができませんので、廃線跡がこの工場の外に出てくる場所に行ってみました。写真⑩は、神奈川産業道路恵比須町交差点の陸橋から撮影したもので、ここが工場の敷地から廃線跡が外に出てくる地点ですが、この場所は現在コンビニになっていました。コンビニの向こう側がレゾナックの敷地です。敷地内に見える青い鉄骨の構造物は、かつて新興支線を跨いでいた工場配管を支持する構造物の様です。地図2を見ると、このコンビニ辺りで新興支線から分岐する引込線が確認できます。

 

写真⑪

そしてここは?。レゾナックの敷地を出た廃線跡は神奈川産業道路沿いに遊歩道化されていました。写真⑪は、遊歩道化された廃線跡です。写真の奥に見えるのは写真⑩のコンビニです。それにしても、ここが廃線跡とは、とても異様な雰囲気です。この遊歩道は、恵比寿町交差点から旧新興駅ヤード跡までの廃線跡1.7㎞を2008年に横浜市が整備した公園で、正式には「貨物線の森緑道」と言う名前が付いています。この路線の廃止は2010年なので、遊歩道は廃止前に出来ていたと言うことです。

 

写真⑫

写真⑫は、写真⑪から少し進んだ地点です。写真の右側の道路は遊歩道化された廃線跡で、左側の道路は神奈川産業道路です。この神奈川産業道路は新興支線が現役だったころから存在する片側2車線で歩道付きの立派な道路ですが、にもかかわらず廃線跡を遊歩道化した意味がわかりません。神奈川産業道路を拡幅する必要がなかったのかも知れませんが、廃線跡を他に活用するあてはなかったのか?。

 

写真⑬

更に進んで写真⑬は、宝運河を渡る布袋橋のたもとから、恵比須町交差点方向を撮影したものです。ここで遊歩道が途切れます。写真の右側の更地は廃線跡です。この更地と旧橋梁部分は遊歩道化されていません。ところで、地図2を見ると、恵比須町交差点のコンビニ付近から、この写真の右側の建物(物流倉庫)にも、かつて引込線が分岐していた様です。

 

写真⑭

写真⑭は、写真⑬の撮影位置から振り向いて新興方面を撮影したものです。写真の様に廃線跡には宝運河を渡る旧橋梁のガーダーが残っており、遊歩道化されていません。これも撤去が大変なのか?しかしながら、これも貴重な新興支線の遺構です。

つづく