ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第20話 1978年岡山臨港・水島臨海 山陽路の非電化私鉄早回り(その4)

岡山臨港鉄道は岡山港の工場地帯で貨物輸送を行う典型的な貨物鉄道でした。そもそも沿線にあった汽車会社の専用線だったそうですが、1950年に地方鉄道として独立し、旅客営業は工場地帯への通勤輸送を細々と続けていました。貨物輸送は順調に伸びて、機関車は小型から大型化されましたが、昭和40年代をピークに貨物量は減少となりました。当時岡山臨港には、2軸の小型20t機が3両と、B-Bボギー車の大型55t機が2両在籍していました。南岡山を初めて訪問した時は、なぜか小型機は全車庫内に入っていたので撮影ができませんでしたが、大型機の2両は撮影できました。

 

1.自社発注のDD1351 (南岡山:1978年3月)

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写真はナンバープレートがありませんがDD1351(注1)です。元はDD105を名乗り、ちゃんとプレートもありましたが、改番の際にプレートが外された様です。この車両は岡山臨港の自社発注車で、国鉄DD13の6次車がベースです。岡山臨港がDD13クラスの機関車を入手できたのは、汽車会社が岡山臨港の株主であったことから、国鉄向けを1両振り向けてもらったそうです。ところでDD105からDD1351に改番した理由ですが、後に廃止となった江若からDD1352を購入した際に、この2両を同一形式のDD13形とした結果です。別府にも江若から来たDD1351がいましたが、本来は別府に行ったDD1351と岡山臨港に来たDD1352が兄弟機です。

(注1)DD1351の車歴:岡臨DD1351←岡臨DD105:1961年汽車会社製

 

2.元江若のDD1352 (南岡山:1978年3月)

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DD1352(注2)は1970年に江若から来たDD13の私鉄版車両です。DD1351よりも強力で岡山臨港の廃止まで主力機でした。

DD1351もDD1352も廃止後はお隣の水島臨海に売却されました。DD1352は部品取り用に長らく保管されていましたが、DD1351の方はどこかに行ってしまい消息不明です。

この日は待望のキハ5002をじっくりと撮影できたことが最大の成果でした。キハ5001が撮影できなかったのが残念ですが、もう陽が傾いてきたので、再びキハ1003に乗って次の水島臨海に移動です。

(注2)DD1352の車歴:岡臨DD1352←江若DD1352:1962年汽車会社製 

 

3.廃車留置?後ろに謎の旧国・・・ (倉敷市:1976年8月)

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実は水島臨海も今回が2回目の訪問で、1976年に倉敷市駅にちょっとだけ立ち寄りました。それ以前から気になっていたのが写真のキハ311(注3)と、その後ろの旧形国電クハ16形(注4)でした。これらの車両は山陽本線の列車からも良く見え、最初は国鉄の廃車留置かと思っていましたが、いずれも水島臨海の保有でした。当時水島臨海は貨物専業鉄道と言っていいほど旅客車の本数が少なく、特に日中は撮影し辛い鉄道でした。1回目の訪問時も列車が走らない時間帯だったので、この留置車両しか撮れませんでした。

ところで、不可解なのが旧形国電クハ16形です。一説によると水島臨海は朝のラッシュだけはものすごく混雑するので、ラッシュ用にクハ16形の廃車2両を購入したとも言われていますが、結局一度も使用されずに、キハ311ともどもどこかに行ってしまいました。

(注3)キハ311の車歴:水臨キハ311←国鉄キハ0411←国鉄キハ4131←国鉄キハ41210←国鉄キハ41087:1934年国鉄大宮工場製

(注4)クハ16形の車歴

  ・水臨未入籍←国鉄クハ16418←国鉄クハ65024鋼体化←国鉄サハ25125←国鉄サハ33815

  ・水臨未入籍←国鉄クハ16428←国鉄クハ65050鋼体化←国鉄クハ17109

水島臨海はとにかく近寄り難い存在でしたが、1978年の“早回りの締め”に”初めて夕方の列車にトライしました。

 

4.元国鉄キハ42600形でほぼ原形のキハ320(水島:1978年3月)

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当時水島臨海にはそろそろ元国鉄キハ10形のキハ350形が導入され始めたころで、旧型車の動向は一刻を争う状況でした。しかし倉敷市から乗った車両は何と元国鉄キハ42000形のキハ320。水島に到着すると撮影する間もなく、車庫に行ってしまいました。もうかなり陽が傾いていたので、とにかく水島駅から車庫までダッシュ。幸い当時の車庫は水島駅の少し先だったので、何とか日没前に撮影できました。

キハ320(注5)は正確には、国鉄キハ42000形の戦後バージョンであるキハ42600形です。原型をよく留めており、本日最後のお宝を手に入れました。

(注5)キハ320の車歴:水臨キハ320←国鉄キハ07202←国鉄キハ07119←国鉄キハ42618:1952年東急車輛

この時車庫内には片上から来た元国鉄キハ42000形のキハ321や夕張から来た車両など多数いましたが、キハ320が撮れたのでもうこの日は気合が入らず、まともな写真がありませんが、以下に2枚だけご紹介します。夕暮れの逆行写真で画像が非常に荒いですがご了承願います。

 

5.片上顔をした元国鉄キハ42000形のキハ321(水島:1978年3月)

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キハ321(注6)はこの日の午前中に片上で対面した片上キハ703の同僚だった元片上キハ701です。言わずもがなの元国鉄キハ42000形ですが、実はこの車両はすごいんです。なんと国鉄のみならず、当時のほぼ日本国中のディーゼルカーがお世話になった、あのDMH17エンジンとDF115トルコンの実用化耐久試験車となった元キハ42503なのです。国鉄は1957年に気動車の改番を行い、機械式気動車を0番形式とし、キハ42000形はキハ07形となりました。キハ42503もキハ074と改番されて機械式気動車のフリをしていましたが、どっこい総括制御ができるトルコン車だったのです。当然総括運転の相棒もいました。その相棒は元キハ42504だったキハ075です。このキハ074と075はコンビで使用され、戦前からの念願であった液体式気動車の確立に貢献した記念すべきす車両なのですが・・・・。その後がみじめでした。キハ074と075はともに1966年にあっけなく廃車となり、2両共片上に売却。それぞれキハ701、702となり、ハンサムな容姿に改造されましたが、キハ701は1972年には水島臨海売却。そして1980年に廃車解体されました。一方、キハ702の方は片上の廃止まで残り、そんな過去とは関係なく?幸い現在も動態保存されています。

(注6)キハ321の車歴:水臨キハ321←片上キハ701←国鉄キハ074←国鉄キハ42503←国鉄キハ42013:1936年日本車輌

 

6.元夕張のロマンスカー 湘南顔のキハ300形 (水島:1978年3月)

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今は亡き気動車メーカーの新潟鐵工所が、珍しく気合を入れて造ったのが北海道の炭鉱鉄道向けに納入したトルコン車でした。その中で先陣を切って導入されたのが夕張鉄道で、当時は国鉄もためらっていた酷寒地へのディゼル車導入の先駆けとなりました。その車両たちが、石炭産業斜陽化の煽りを受けて、遠路はるばる水島へやって来ました。それがキハ300形です。

キハ300形は元夕張キハ250形(キハ252,253)とキハ300形(キハ301,302)ですが、夕張時代にキハ301+ナハニフ153+キハ302という3両固定編成を組んでおり、水島ではこの編成をそっくり購入して、番号もそのままラッシュ時に運用しました。しかし不運にもキハ302は踏切事故で廃車となり、以降はキハ304が3連に組み込まれました。

その後水島では旧型気動車の置き換えとして、国鉄からキハ10形を購入してこれに充てましたが、夕張から来たグループも置き換えの対象となり、この年1978年にそっくり岡山臨港に売却されました。結局水島臨海では、元夕張のキハ300形には乗れず仕舞いでしたが、しばらくして岡山臨港で再会することになります。

この日は水島で日没となり撮影は終了。ノルマ達成です。帰りはちょうど出庫するキハ350形2連に車庫から乗せてもらいました。この日は早朝の別府から日没の水島まで非常に濃厚な一日でした。倉敷に戻った時はドッと疲れが出て、とても山陽本線を80系で広島まで帰る気力もなく、小遣いをはたいて新幹線で帰りました。以上で40年前の、“山陽路の非電化私鉄早回り”の報告を終わります。