ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1167話 1995年水島臨海:あの苦言の波及効果(その4)

とうとう水島臨海にもNDCが投入されました。時代の流れなのか、それもやむを得ません。これでまた趣味の対象が減ってしまいます。でも、廃線で減ってしまうよりはマシですが・・・。

 

1.キハ208+キハ20形 (球場前~倉敷市:1995年8月)

さて、この日はまだ時間に余裕があったのでどうしようか悩みましたが、以前であれば、下津井や片上など、ちょっと足を延すことも可能でしたが、この時点で近隣にローカル私鉄はもうありません。一番近くて岡電ですが、広告電車に興味はありませんし、そうなると対岸の琴電ですが、水島からでは倉敷、岡山、瀬戸大橋経由で高松まで2時間はかかり、日が暮れてしまいます。

 

2.キハ205+キハ20形 (球場前~倉敷市:1995年8月)

仕方なく、いつもの場所でキハ20の撮影です。気合の入らない、どうでも良い撮影でしたが、こんな時に限って天気が良く、撮った写真は絞りもピントもドンピシャの出来でした。

 

3.キハ207+キハ20形 (球場前~倉敷市:1995年8月)

私が初めて水島臨海を訪問した1976年当時、列車は日中ほとんど走っておらず、水島機関区へ行くのをあきらめるほどの状況でしたが、それから19年が経過し、この頃の水島臨海の列車は30分ヘッドになり、次々とやって来ました。関東鉄道常総線と同じくらいの頻度ですが、こちらは単線で、しかも貨物も走ります。貨物本業の臨海鉄道のはずですが、いつの間にか旅客主体になってしまった様です。

 

4.キハ208+キハ20形 (球場前~倉敷市:1995年8月)

どの列車もキハ20形の2連です。ボロと言われましたが全車冷房車なので、真夏ですが快適そうです。そう言えば、この日も暑かったです。炎天下のなか、よく水島機関区まで歩いて往復し、しかもその後で、こんな撮影をしたものです。

 

5.キハ205+キハ20形 (球場前~倉敷市:1995年8月)

撮影を続けていたら、もう運用列車が一巡した様です。気が付けばNDCを撮っていません。ある意味、ラッキーでした。でも本当は、ここにキハ07がいた頃に、こんな撮影がしたかったです。

 

6.キハ208+キハ20形 (球場前~倉敷市:1995年8月)

結局この日もさんざんキハ20形を撮りました。もうお腹いっぱいと言ったところです。これで撤収です。