ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第25話 1984年上田交通 丸窓が居たころ(その2)

上田交通には丸窓以外にも強者が居ました。

モハ5250形3両は自社発注車ですが、それ以外はすべて移籍車両でした。今回は当時在籍した移籍車輌をご紹介します。

 

1.モハ5371+クハ252 神畑~寺下:1984年5月)

f:id:kk-kiyo:20181017230727j:plain

 写真の先頭車はモハ5370形(注1)です。この車両は元小田急クハ1650形の車体を流用したモハで、同形車が2両(モハ5371,5372)いました。しかし、この車両は遡れば信濃鉄道の買収国電です。上田に来た時は現役の木造電車でした。改造名義で複数回改番されるなど車歴が結構複雑で、この2両の生い立ちも微妙に違います。

(注1)モハ5370形の車歴

・上田モハ5371←上田モハ5362←上田モハ5262←国鉄クハ5110←国鉄モハ1102←国鉄モハ20004←信濃デハ5:1926年日本車輌製(車体:小田急クハ1651:1941年日本鉄道自動車製)

 ・上田モハ5372←上田モハ5363←上田モハ5263←国鉄モハ1100←国鉄モハ20001←信濃デハ1←池田デハ2:1926年日本車輌製(車体:小田急クハ1652:1940年川崎車輌製)

 

2.クハ252+モハ5371 (下之郷中塩田1984年5月)

f:id:kk-kiyo:20181017230847j:plain

さて、モハ5371とコンビを組んでいる怪しいクハは元神中鉄道の気動車だったクハ252(注2)です。神中と言えば別府にも元気動車の客車がいましたが、こんなところにも神中出身がいました。元神中の気動車は人気があったのか、結構あちこちで活躍していましたが、どこの元神中もなぜか憎めない表情をしています。

(注2)クハ252の車歴:上田クハ252←上田クハ1501←相模クハ1050←神中ホハ50←神中キハ50←神中キハ40:1937年日本車輌

 

3.クハ252+モハ5371 (寺下~神畑1984年5月)

f:id:kk-kiyo:20181017230935j:plain

クハ252は元々同僚のクハ253と共に、相模鉄道から上田にやって来ました。クハ253は一足早く1975年に廃車となりましたが、クハ252はモハ5370形の専属クハとして結構頻繁に使用されました。この車両以外にも上田交通には元気動車が多く在籍しましたが、最後まで残ったのはクハ252だけでした。

 

4.千曲川を渡るクハ252+モハ5371 (上田~城下:1984年5月)

f:id:kk-kiyo:20181017231023j:plain

 少々心細い千曲川橋梁を渡るクハ252+モハ5371です。この橋はこれでも補強改修をしたそうですが、華奢な車両だから何とかなっていた様にも思えます。ところで別所線の前身である上田温泉電軌が開業した時点では、まだこの橋はなく、現在の道路橋(この写真を撮影した橋)の別所温泉寄りのたもとが起点で、上田駅との間はバス輸送だったそうです。

 

5.モハ5371+クハ252 中塩田下之郷1984年5月)

f:id:kk-kiyo:20181017231108j:plain

5月の上田盆地は大変穏やかです。信州特有の気候が古い電車を長持ちさせたのかも知れませんが、いつまでもこの状況が続くわけもなく、この光景もあと2年でした。

 

6.サハ41 (上田:1987年5月)

f:id:kk-kiyo:20181018223024j:plain

当時、もう使用されていないサハが上田駅の構内に2両留置されていました。写真の車両は、この年の3月に廃車されたばかりのサハ41(注3)です。外観はクハ252と似ていますが、こちらは元飯山鉄道の国鉄買収気動車でした。この車両は当初は別所線に導入されましたが、後に丸子線に転入しMTM3連固定編成の中間車となり、貫通化されましたが、丸子線廃止で再び別所線に戻りました。

上田交通には、神中鉄道や飯山鉄道などで活躍した元気動車のモハ、クハ、サハが余生を送っていましたが、路線短縮と共に淘汰が進み、別所線にクハとサハが残りました。しかし、サハは終端駅での車両付替えが厄介だったことから、晩年は元東急5000系だったクハ290形の導入で職を失いました。

(注3)サハ41の車歴:上田サハ41←国鉄キハ101←飯山キハ101:1937年日本車輌