ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第30話 1984年蒲原 加茂~村松間の晩年

1984年は上田交通の他にもう一つ、待ったなしの路線がありました。それが蒲原鉄道です。蒲原鉄道信越線の加茂と磐越西線五泉を結ぶ地方鉄道でしたが、なぜこんなところに鉄道があるのか、不思議なくらい何もないところを走っていました。特に路線の大部分を占める村松から加茂寄りはひどい状況で、大蒲原~狭口間は数えるほどの民家しかありませんでした。

そして、ついに村松~加茂間が1985年3月末に部分廃止を宣告されました。部分廃止とはいえ、実際は大部分なので間違いなく多くの古い車がなくなってしまうと思われ、まさに待ったなしでした。

 

1.モハ31 (狭口~駒岡:1984年8月)

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初めて蒲原鉄道に出向いたのは1984年夏でした。すでに上越新幹線は開通していましたが、旅費をけちって、上野から夜行の鈍行で出発しました。確か長岡行きの115系だったと記憶します。エアコンが効かず窓全開だったので、どこかの駅で停車中に蚊の襲撃に遭遇し、えらい災難でした。長岡で乗り継いで加茂に到着したのはまだ蒲原の始発が出る前でしたが、もうすっかり陽は登っており、非常に暑い日となりました。始発でやって来たのは大変クラシックなモハ12でした。相当年季の入った車両ですが、車両が悪いのか線路が悪いのか、ものすごい振動と唸り音で出発です。走りながらバラバラに壊れてしまいそうでしたが、最初のサミットを超えて東加茂で下車しました。ここから先は気の向くまま歩きながらの撮影です。

 

2.モハ12 (東加茂:1984年8月)

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 炎天下のなかモハ12が加茂に向けて出発して行きました。前面の窓は下降式ではなく、下側が外開き式です。新潟といえども夏は暑く、30℃は超えます。今では考えられませんが、クーラーがないので窓は全開でした。しかし、走れば結構涼しかったです。

 

3.レトロな東加茂駅 (東加茂:1984年8月)

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 東加茂駅は結構立派な駅舎を構えていました。変電所もあり、廃止時まで有人駅でした。この辺りまでは市街地ですが、この先が・・・。

 

4.モハ31 (狭口~駒岡:1984年8月)

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東加茂あたりが越後平野の端っこです。蒲原鉄道は加茂川に沿って山間部に入ってゆきます。集落が途切れるあたりに狭口という小さな無人駅がありました。この駅は駅名からしていかにも受験生に御利益がありそうな駅で、無人駅なのに入場券が結構売れたそうです。その周辺で朝の通勤列車を撮影するため待ちました。やって来たのはモハ31の単行です。どんな田舎でも通勤ラッシュはあるものと思っていましたが、蒲原にはラッシュがない?もっとも夏休みなので学生がいないのでこんな程度なのでしょうか。

 

5.モハ31 (七谷~狭口:1984年8月)

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さて、このあとしばらく列車がないので、峠に向けて歩きましたが、この先が地獄でした。昨夜から何も食べておらず、気温はどんどん上がり喉も渇いたのですが、コンビニも何もありません。なにより人気がありません。なんとか飲み物の自販機くらいはないかと探しつつ、気が付けば大蒲原まで歩いてしまいました。しかし大蒲原にも自販機はなく、結局飲み物に辿り着いたのは村松で、時刻は14時を過ぎていました。熱中症にならなかったのが不思議でしたが、恐らく気合が入っていたからでしょうか。

 

6.あたりに何もない七谷駅 (七谷:1984年8月)

f:id:kk-kiyo:20181031200630j:plain道中飲み物を求めて辿り着いたのが七谷でした。交換駅なので駅前にお店くらいあると思っていましたが、あったのは駅だけ。ちなみに駅前もなし。飲み物もなし。なんだこの駅は・・・。