ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第32話 1984年蒲原 加茂~村松間の晩年(その3)

1984年は上田と蒲原の年でした。
蒲原は夏に大変な思いをしましたが、懲りずに秋にもアタックしました。秋は上田から蒲原にハシゴをしました。今回は加茂~村松間の最後の晩秋の情景をご紹介します。

 前回の蒲原訪問は単独行動で歩いての撮影でしたが、今回は友人同行で、しかも車を借りて回ったので効率も良く、極楽気分でした。

 

1.早朝のモハ12 (狭口~駒岡:1984年11月)

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11月の蒲原は朝には大変底冷えしました。川から朝もやが立ち登り、反逆光のモハ12が幻想的でした。インスタントカメラで精一杯頑張って撮りましたが、やはり出来栄えはイマイチ。これが限界です。

 

2.モハ41 (東加茂~陣ケ峰:1984年11月)

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写真は朝陽がなかなか射さない東加茂~陣ケ峰間を行くモハ41です。

 蒲原鉄道で一番最後に開通した区間は、東加茂~加茂間です。この区間は、わずか2.5kmたらずですが、勾配あり、トンネルあり、橋梁あり、おまけに信越線をオーバークロスするなど盛りだくさんでした。東加茂から加茂川沿いに線路を敷けば、距離も短く平坦でトンネルも必要なかったのに、なぜこのようなルートになったのか不思議です。

 

3.モハ12 (狭口~駒岡:1984年11月)

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モハ12は、全長12mの小型車でしたがワンマン化されていたのでよく使用されました。蒲原のワンマン化は意外と早く、お隣の新潟交通より5年前の1978年でした。その時点でもモハ12の車齢は48年であり、とてもワンマン化するような車両とは思えませんが、小型車で経済的だったのでしょうか?

 

4.モハ12 (土倉~高松:1984年11月)

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土倉~高松間には、蒲原鉄道の路線が俯瞰できる小高い丘がありました。丘に登って待つことしばし、モハ12がやってきました。乗客は数名たらず。この辺りは、田圃はありますが民家が見当たりません。 これでは廃線になっても仕方ありません。線路端のススキが生え放題なのがワイルドですが、蒲原には整然とした上田とは違ったローカル線の原風景がありました。これも見納め、あと4ヵ月で終わりなのが残念でした。

 

5.モハ41 (冬鳥越~七谷:1984年11月)

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冬鳥越~七谷間は峠越えとなるので、まともな撮影場所がありませんが、こんな写真を撮っていました。冬は豪雪地帯でレールが凍結することもあり、列車が登れず難所だったそうです。