ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第60話 1985年大井川 本来のローカル輸送

1985年の大学の夏休みは、バイト先で知り合った旧型国電が大好きな友人と、甲信、北陸、中部を早回りし、吊掛車三昧の末、最後に大井川鉄道に辿り着きました。

大井川鉄道と言えばSLです。

最近はSLにTVキャラクターの装飾を施し盛り上がっていますが、反面幻滅しておられる方も多いのではないかと思います。しかし、これも存続を賭けた大イベントであり、見守るしかありません。ところで観光路線である大井川鉄道ですが、そもそも地方鉄道であり、SL列車の陰で奮闘する一般のローカル電車を忘れてはいけません。

 

1.クハ2829+モハ3829(青部~崎平:1985年9月)

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 この日はSL列車も走っていましたが、先ずは電車優先です。

大井川鉄道は非電化私鉄として開業しました。その後1949年電化されましたが、当初は電気機関車による客車列車で運行され、電車の導入は1951年頃からです。その際に導入された電車はすべて中古車で、国鉄飯田線身延線などから移ってきた買収国電や西武の古い車両でした。私が訪問した1985年当時は、それら電化後の第一世代が引退し第二世代が揃った頃でしたが、相変わらず各地の中古電車ばかりでした。

 

2.モハ3829+クハ2829(抜里~笹間渡:1985年9月)

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その頃の中古車は、西武、名鉄、北陸からやって来た車両で、第一世代に比べて多少はましでしたが、一般乗客の目線ではほとんど変わり映えない電車だったと思います。しかし、観光路線なので一般車もクロスシート車が揃えられ、結果的に地元利用者へのサービスアップに貢献していました。 

 

3.モハ313+クハ513(塩郷~下泉:1985年9月)

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 ところで、大井川鉄道の歴史は自然災害との闘いでした。ここ数年も井川線で大規模な土砂崩れが立て続けて発生し、いまだに運休区間があり、つい最近は本線でも倒木が列車に接触する事故がありました。上の写真の場所も雨が降るたび、激流となりヒヤヒヤです。もっとも“越すに越せない大井川”に沿って敷設された路線なので、この様な状況も仕方なしとうなづけますが、自然災害が原因で廃止となった鉄道もいくつかあります。昨今の異常気象が非常に気がかりです。

 

4.モハ3822+クハ2822(崎平~千頭:1985年9月)

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 しかし、自然災害とは裏腹に、この路線は自然に接した風光明媚な路線です。よって撮影名所も多く、SLでなくても様になります。

5.モハ3822+クハ2822(崎平~千頭:1985年9月)

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 この場所も有名な撮影地ですが、さすがに電車を撮っている人はいません。ちなみに大井川の河原ですが、ここは雨が降ったら大激流となります。

 

6.元小田急SSE車 (崎平~千頭:1985年9月)

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 今度は高台の道路に上がり待っていると、元小田急のSSE車がやって来ました。

この橋梁では5両編成のSSE車も余裕で撮影できました。SSE車は私にとっては新車の部類で、なんら関心もありませんでしたが、この風景で撮影しないわけにはいきません。今となっては貴重な記録です。

ところで、大井川鉄道が各地の名物車両の博物館的存在となったきっかけが、このSSE車ではないかと思います。しかしSSE車は大井川鉄道には大きすぎて殆ど活躍しないまま廃車となりました。