ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第69話 1986年鹿島 北海道の帰り道(その4)

続く鹿島鉄道も天気が悪く、走行写真は諦めて、石岡機関区で車両撮影に専念しました。鹿島鉄道も昨年に続く訪問です。(このブログの第37,38話をご参照下さい。)

現在の石岡駅鹿島鉄道の跡形もありませんが、石岡機関区は石岡駅に隣接していました。機関区側から石岡駅に停車中の車両が綺麗に写せました。 

 

1.キハ432 (石岡:1986年3月)

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まずは、キハ432です。この車両は同僚のキハ431共々まもなく車体更新を受けます。更新後も湘南顔を維持しますが、前面窓が小さくなり不愛想な表情の湘南顔になってしまいます。この写真は原型を留める最後の写真になりました。

 

2.キハ601+キハ602 (石岡:1986年3月)

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 湘南顔が集結していた鹿島鉄道ですが、切妻貫通扉付きのキハ600形(注1)が2両いました。この車両は元国鉄キハ42000形の成れの果てで、それぞれ1965年,1966年に国鉄から譲受したものですが、関東鉄道時代に例の通勤車化の洗礼を受け、切妻化されてしまいました。関東鉄道常総線にも同様に切妻化されたキハ610形が存在しましたが、キハ610形は片運車でキハ600形は両運車でした。また、キハ600形は中央のドアがオリジナルの片引きを維持していたので、側面は国鉄キハ42000形の名残が伺えます。しかしこの車両はこの後ワンマン化、更には冷房化され、老朽化で台枠が垂れ下がりながらも、鹿島鉄道廃線となる2007年まで20年以上も生き延びます。

 

3.キハ602+キハ601 (石岡:1986年3月)

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(注1)キハ600形の車歴

・鹿島キハ601←関東キハ601←関東キハ42503←鹿島参宮キハ42503←国鉄キハ0729←国鉄キハ42528←国鉄キハ42205←国鉄キハ42032:1936年川崎車輌

・鹿島キハ602←関東キハ602←関東キハ42504←国鉄キハ0732←国鉄キハ42531←国鉄キハ42207←国鉄キハ42036:1937年鉄道省大宮工場製

キハ601,602は共に戦前製のキハ42000形で元はガソリン動車でした。いずれも戦時中に代燃化されて天然ガス動車のキハ42200形となり、戦後にディーゼル化されてキハ42500形となります。トルコン化とロングシート化は関東鉄道時代の1968年に実施され、切妻化と総括制御化は1972年に西武所沢工場で実施されました。

 

4.キハ711 (石岡:1986年3月)

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5.キハ712 (石岡:1986年3月)

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キハ711~713は元芦別鉄道の車両でした。この3両は他車がロングシート化されるなか、クロスシートを維持しました。 しかし、1992年に新潟鐵工製の後輩である軽快気動車が増備されると、長老のキハ600形よりも先に廃車されます。

 

6.元夕張コンビのキハ714+キハ715 (石岡:1986年3月)

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7.元夕張コンビのキハ715+キハ714 (石岡:1986年3月)

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キハ714,715は元夕張鉄道の車両です。夕張鉄道の車両は関東鉄道水島臨海鉄道岩手開発鉄道に譲渡されましたが、関東鉄道にやって来た2両が鹿島鉄道に引き継がれました。この2両は関東鉄道時代に車体更新され、その際にロングシート化されましたが幸い湘南顔は維持されました。軽快気動車導入後は芦別車と同様に廃車されるのかと思いましたが、キハ714のみ奇跡的に生き残り、予備車的存在でしたが冷房化されて路線廃止まで残存しました。