ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第195話 1986年鹿島 寄せ集め気動車の楽園

山陽路の非電化私鉄が減って行くなか、常盤路の非電化私鉄は何とか持ちこたえていました。

第69~71話でご紹介した1986年3月の「北海道の帰り道」に立ち寄った鹿島鉄道筑波鉄道は天気が悪く、走行写真を諦めましたが、今回はその時のリベンジ編で1か月後の4月の様子です。まずは鹿島鉄道ですが、相変わらず湘南顔の気動車天国でした。

 

1.元夕張車のキハ715 (榎本~玉造町:1986年4月)

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 つい先日、北海道の夕張線が廃止になりましたが、このキハ715は夕張が最も華やかだった頃にデビューした、元夕張鉄道ロマンスカーです。夕張鉄道は炭鉱の衰退で1975年には廃止となり、この車両はキハ714と共に当時の関東鉄道鉾田線にやって来ました。その他の仲間も各地に転出して行きましたが、岡山臨港のキハ7000形が路線と共に1984年に廃車となり、気が付けば夕張の湘南顔も鹿島の2両だけになっていました。しかし、鹿島には芦別の湘南顔が3両もいたので、とりあえずは安泰と言ったところでしょうか。

 

2.元夕張車のキハ715 (榎本~玉造町:1986年4月)

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 キハ715のサイドビューです。クロスシートのピッチに合わせた小窓がたくさん並ぶ賑やかな側面が特徴で、私のお気に入りの気動車でした。しかし、この時点でロングシート化されていました。

 

3.元夕張車のキハ715 (浜~玉造町:1986年4月)

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 4月になると鹿島鉄道沿線でもそろそろ田植えの季節です。

 

4.元芦別車のキハ711 (玉造町~榎本:1986年4月)

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 こちらは元芦別鉄道のキハ711です。夕張車とは同じ新潟鐵工製の湘南顔です。芦別車は3両共クロスシートが健在でした。

昭和30年代の北海道向けの新潟製気動車は、その後の三セク向け軽快気動車NDCと違い意欲的なものを感じます。

 

5.元芦別車のキハ712 (石岡:1986年4月)

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元夕張車も元芦別車も、酷寒の北海道で酷使されて来た車両です。これらの車両は国鉄もためらっていた道内へのトルコン車導入の先駆けとなりましたが、当時北海道では冬季の夜間は夜通しでエンジンを掛けっ放しだったそうで、そうしないと朝一に冷え込みでエンジンが掛からなかったそうです。現在の様などんなに寒くても一発スタートが出来るようになったのは、直噴式エンジンが採用され始めたちょうどこの頃になってからです。車両が進化し便利になった頃には鉄道自体が不要になってしまうとは皮肉なものです。

 

6.元芦別車のキハ713 (石岡:1986年4月)

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 ところで、茨城では寒くてエンジンが掛からなかったことは、恐らくなかったと思います。酷寒地で耐えてきた車両なので、温暖な茨城では余裕だったのではないでしょうか。鹿島ではこれらの道産子気動車が生き生きと余生を送っていたように見えました。

 

7.元夕張車のキハ715 (石岡:1986年4月)

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 湘南顔の気動車は、しばらく全車が健在でした。しかし、1989年以降新車のKR500形が投入されると、車体外板が未更新未である芦別車から淘汰が始まりました。