ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第78話 1987年越後交通(長岡) 謎の貨物鉄道(その3)

長岡には飲み屋が異常なほどたくさんありました。実習中は毎晩暇で会社の連中と飲み歩き、この土曜日も二日酔いで昼頃までダウンしていましたが急に晴れてきたので、奮起して午後の列車を狙って出かけました。

 

1.ED5101の牽く空車のタキと最後尾にワム (深沢~上富岡:1987年6月)

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 ようやく晴れました。待望の梅雨晴れなので酔っ払ってはいられません。

この場所は午後は順光となり撮影には最適ですが、長岡からも来迎寺からも中途半端に離れています。この日は体調が悪かったので思案した結果、バスで最寄りまで行くことにしました。バスは長岡駅から片貝方面に結構出ており、西長岡から深沢まではほぼ長岡線と並行に走り、30分ほどで現地に辿り着けました。

 

2.戻りの単機回送 (深沢~上富岡:1987年6月)

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 戻りの単機がやってくる頃には、体調もすっかり回復し、越後らしい清々しい写真が撮れました。この日はこれで終了ですが、天気が良かったので帰りに西長岡に寄りました。

 

3.ED311 (西長岡:1987年6月)

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西長岡ではED311(注1)がちょうど良い場所にいました。 この車両は元西武の機関車でしたが、1964年に購入したものです。形態が戦時設計の東芝製凸型40t機のようですが、西武所沢製の機関車で、西武時代は同形車が3両いました。ED5100形が入線してからは予備車になってしまい、あまり活躍の場がありませんでした。

(注1)ED311の車歴:越後ED311←西武E31←西武E32:1956年西武所沢製

 

4.除雪用ディーゼル機関車 (西長岡:1987年6月)

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雪国の越後交通には、この小さい ディーゼル機関車を含めて3台の除雪車がいました。この機関車は車籍はなく機械扱いで、反対側にロータリーヘッドが付いていました。

ところで左側にちょこっと写っているのはED401です。この機関車は越後交通の自社発注車ですが、やはりED5100形入線後は出る幕がないようで、いつ行っても庫内に入ったままで、まともな写真が撮れませんでした。

 

5.ED5101+ED5102重連回送 (来迎寺~深沢:1987年6月)

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 2か月間の長岡暮らしもいよいよ終わりに近づき、あいにくの雨でしたが、朝から来迎寺に出向き、橋梁で待っているとED5100形が重連でやってきました。

 

6.ED5102+ED5101重連回送 (深沢~来迎寺:1987年6月)

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重連と言うことはそれなりの貨物量が想定されます。折返しが戻ってくるまでに見通しの良い場所に移動です。

 

7.ED5102+ED5101の重連が牽くセメント列車 (深沢~来迎寺:1987年6月)

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 やはり長編成でやってきました。天気がイマイチでしたが貴重な重連を撮ることができました。

その後、長岡での実習が終わり一旦東京に戻りますが、この年の10月から半年間を新潟市内で暮らすことになり、時々長岡線を訪問しました。ところで長岡線は廃止となったはずの関原~寺泊間の路線が撤去されずに放置されているとの情報をキャッチし、廃線跡を全線を踏破することにしました。廃線跡の調査は翌年1988年の4月でした。線路ばかりか架線もそのまま残る区間がありました。越後交通は長岡線の復活を目論んでいたようですが、今となってはそれも夢物語です。機会があれば当時の廃線跡レポートを報告したいと思います。